時をかける(元)少年少女
昨日”い”氏と一緒に、朝一番でテアトル新宿に「時をかける少女」見てきました。
帰りに伊勢丹でモロゾフのカスタードプリン買いました。リメイクと言ってバカにしていただけに一度ハマってしまうと深い!。私の少女時代はSF真っ盛りだったんですねえ。
那由他というSF漫画に過去見というのが出てきて、キロ(だっけ?)という少年に記憶を消されても、雨の日に思い出すというのがあったなー。とか。”芳山和子もいつか思い出すのでしょうか?”みたいな城達也のナレーションが聞こえたり(幻聴?)
タイムトラベラーは確かに1972年当時、小学校高学年~高校1年くらいの女の子に大人気でした。それで続タイムトラベラーが作られたんだよなー。芳山和子は中学3年生の設定。幼馴染、深町一夫に関する記憶が仮想記憶というところも怖かった。実は未来人ケンソゴル、なんと11歳!。なんで大人気だったかというと、これは少女漫画の王道、違う時空に暮らす引き裂かれた少年少女なんですよねー。”二人をもう一度会わせてあげてーっ!”という当時の少女たちの嘆願運動によって続タイムトラベラーが制作されたのです。
しかし、続タイムトラベラーでは思い出せない恋人に呼び出されて、身代わりの少女ジュンを元いた時代において置かれるところが怖かった。自分の写真とかもその子の顔になっていて、家族の誰も疑わないんだよー。
いろいろあったあげく、やっぱりケンと結ばれるのはダメで「明日になれば私は貴方のことを忘れてしまうんでしょう?」とかいうセリフがあって、結局1972年の高校1年生として平凡な日常へ戻る。今度は当時の少女たちも「さらにもう一度」とは言わなかった。その時少女達は結局結ばれずに終わるのなら何度会っても悲しいだけじゃん!ということを学んだのでした。その後、マリコという同じ俳優女優の普通の恋愛ドラマ(だったと思う)も作られたけど人気なかった。やっぱり、ロミオとジュリエットは永久に結ばれない運命だから少女の心の琴線を捉えるのであって、普通に結ばれちゃあねえ。
「時をかける少女」に絶対禁則規範があって、どんなに好きでも憧れても少年は少女に性的な手出ししてはいけないのですよ。少女もどんなに少年が好きでも彼と結ばれて子どもを産むということはありえない。それは過去と未来を変えてしまう最大の禁則だから。
その辺の”絶対的少年少女”あるいは”永遠の少女”が「時かけ」の普遍的テーマでいいんでしょうね。何度、リメイクされても傑作が出てくる所以かなー?
今回の「時をかける少女」の真琴は、「となりのトトロ」のサツキの思春期時代のように感じました。サツキとメイは、前思春期と幼女時代をうまく同時化表現していましたね。少女漫画の手法、姉妹あるいは双子の同時化表現で成長を描く方法。女の子が成長し何かを得ることによって失う半身をどう描くかなんですが。もちろん萩尾望都の「半神」は最高傑作のひとつ。最近では「NANA」が同じ名前で同い年の二人の少女でうまく描いています。今回の「時をかける少女」はタイムリープという使い尽くされていた(と思っていた)手法で真琴の同時化表現(恋をする前、恋を知ってしまった後)に成功しています。
少女漫画だと恋愛させるのが一番難しいキャラクターをよくデザインし演出したなあと思います。男二人と仲良しの元気者の女の子は恋愛させるのが難しいのですよー。「生徒諸君」でも片方を山に行かせて遭難死させちゃったしなー。あの涙ボロボロの演出は、女性監督では難しかったかも。反面、脚本の巧みさや真琴の親友 友梨ちゃんの「そうだと思った、行きな」は「女友達」をがっちり押さえていて少女漫画の王道!
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