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2006年9月25日 (月)

絵にする理由・・描いていきたい・・

写真で表現するのが苦手である。

院生の時には写真実習なるものがあり、白黒写真もカラースライドも暗室で焼いた経験があるのだが、私はもともと閉所(暗所)恐怖症のケがあり、暗室が苦手だった。

デジカメがでて、よくなったなあと思うのだけど、それでも参考写真はたくさん撮るけど、写真で作品を創ろうとは思わない。

そもそも自分の眼でみたものが写真にはちっとも映っていないように感じている。

なんでだろう?私の眼、もしくは脳が変なのか?

写真で表現のできる人を何人か知っている。写真家はなんというかな。モデルにポーズをつけてもらったり、構図に入るものの設定をすることができる人。私も気に入った写真が撮れたことがないわけじゃないのだが、だいたい70パーセントくらいの気に入り方で、この背景のこのモノがあと数センチずれていたらよかったのにとか、この角度が30度ずれていたらなあとか。空に雲が入っていなければいいのにとか思う。そのへんの我がままさがきっと写真に向かないのだろう。絵なら必要ないものは描かないし、ずらして描くこともできるから。 

あと、私は設定するのが大嫌い。仔猫を撮るんでも籠に入れるだけでも、本当はイヤ。イヤだったことが今回よくわかった。こっそり猫たちの生態を覗いていたい。自分の存在をなるべく気づかれずにそっとそっと風のように見ていたい。息を潜めて、仔猫たちの目が静かにゆっくりと開いていくのを、不思議な世界を覗き込むように彼らの吐息を感じ取りたい。写真だとどうしても、撮る者と撮られる者の関係性が映ってしまうだろう。(もちろんそれが持ち味の写真家もいる。女性のモデルさんを美しく撮る人など、その美を引き出すように声をかけたりして被写体との空間を作っていくんだと思う)

じゃあ、CGはどうなんだ?っというとCGで作品を作ることは実はたまにある。でも、CGで不自然なく自分の表現にするためにずらしたり修正するのって、すごーくめんどくさいんだよね・・・。私にとって描くよりずっと面倒くさい。よっぽどうまくやらないとすごく不自然だし。去年仔猫のキッツンブルー青い眼をなんとか写そうと写真で苦労し、CGで色変換して暗い青さの宿る様子を表現しようとしたけど、結局失敗し、自分で描いてしまった。自然な色変換をCGでやるのはかえって難しいよ。

http://yasukun.cocolog-nifty.com/iroharu/2005/09/index.html

のうんと下の方にあります。

外の世界を自分の中に持ってくるプロセスとして、私は匂いや風や動きや柔らかさや悲しみなど、瞬間じゃないもの、視覚でない、触覚や嗅覚的なもの感覚的なものから世界を取り入れている。それをどうしても写真に写しきれない。

というわけで、自分の絵が決して上手な絵でないことは百も承知のうえで、洒落たデザインだの綺麗な線など引けてないこともよく自覚している上で、私は絵を描いている。

http://yasukun.cocolog-nifty.com/ うちで生まれた仔猫のブログ

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2006年9月22日 (金)

禁断の書

続きです。

ここのところ、子どもの頃大好きだったものを掘り起こしているのは、自分の動機というかモチベーションが著しく下がっていることを実感しているから。

若い頃は好きであればそれだけで情熱が沸いたし、できないことに対する悔しさもたくさんあったのでそういう悩みはなかった。今はお陰さまでがむしゃらにやらなくても、そこそこ程度のレベルはなんとかなる。それが問題で、モチベーションがちょっと下がるともう全然意欲がわかないのです。仕事に対するモチベーションをどこからかかき集めてこないとならない。飽きている。すぐつまらなくなる。

母のことを書いておきます。母現在70歳。私の母は恋愛至上主義者で特に歴史ものに恋愛が絡む大河ロマンが大好き。王家の紋章50巻近くを買いためていて、嫁に出た娘の部屋の本棚に隠している。理由は自分の部屋に置いておくと客が来た時に恥ずかしいから。

こらー、かつて私のベルばらを隠したくせに、何故、娘の部屋に自分の漫画を隠すんだー。ちなみに元私の部屋は客間になっていて、主に弟夫妻が来た時に使われているのである。義妹(弟の奥さん)は弟と同年生まれだけど早生まれなので私と学年は同じ。

「うふ、お義姉さまって王家の紋章がお好きなのね」と思われていること必定である。(言葉遣いはこうじゃないだろうけど)

母の悪いところは、美大に行った娘の部屋なら何を置いておいてもいいと思っていることだ。私は王家の紋章のファンではない、20巻ほど読んだら飽きた。だって繰り返しなんだも~ん。あと、ハーレクインヒストリカルロマンスシリーズを山ほど置いていくのもやめてくれー。何故、自分の部屋に置かん?と聞いたら、やっぱり義娘(弟の奥さん)に見られたら恥ずかしいからとか言いやがった~~。

この母はポリニャック伯爵夫人のよーに、外面がよく、かつ立ち回りがうまいので、娘の私は子どもの頃からよく泣かされた。あ、でも、母のことは愛しているし、一人の女としてはとても尊敬しているのですよ。実際恋愛に関しては結婚自体が逃避行に近い大恋愛だったようだし、父は母にベタ惚れだしね。おばあちゃんになっても恋に恋する永遠の少女ロザリー、それはうちの母のことだと思う。

また後で続きを書いて、直します。

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屋根裏部屋幻想

1973年の晩夏、私は自分の屋根裏部屋に金髪の少女たちと黒髪の少年たちを匿っていた。

ベルサイユのばらを全巻買いなおすのは、実に3回めです。最初は前にも書いたとおり、盲腸入院中に母が買ってくれて、私は10歳の冬ですから最初は全く内容わからず。しかし、母は読んだ瞬間から大変に気に入ったらしく、その時点で売っていた7巻までの単行本をすぐに全部買ってきたくれた。盲腸入院から帰ってくる頃には、当然のように私もハマり、週刊マーガレットを毎週買うようになっていたように思う。

母、当時40代少し前。少女時代に7歳下の妹の少女クラブを奪い取るようにして「リボンの騎士」を読んでいたというツワモノ。

ところで私には一つ違いの弟がいて当時同室で暮らしていた。ベルばらは男の子にはたいへんに難しいマンガなんですが、そこは10歳の子どもの柔軟性で3ヶ月ほどで彼も熱狂的なファンに。彼は回想シーンの8歳~10歳くらいのオスカルが可愛くて好きと言っていたなぁ。大人のオスカルはまあとても手が出そうにない存在だから当然ですが。子ども部屋の1つのベットの上で全巻並べて二人で寝転がって読んでいました。

そこで問題になるのは8巻です。オスカルとアンドレが結ばれるページです。当時、思春期突入前でしたが、母は先手を打ち、まず父母の寝室を客間に移すと宣言し、その部屋を私の部屋にすると言ってきたのでした。

新しい部屋は屋根裏に出られる扉のついた北側の部屋で東の高い位置に小さな窓があり、私は自分の部屋を持てることは嬉しかったのでそこへ移りました。結局、部屋が手狭になったこともあり2年後には家の建て直しをしてしまったのでその部屋に住んでいたのはわずかな期間なのですが、今でも高い塔のてっぺんにあるようなのあの屋根裏部屋のイメージを幻想的に思い出します。

それから、母は部屋を移した後、突然、ベルばら全9巻を隠してしまったのです!

もちろん表向きはマンガに熱中してお手伝いしないとか勉強しないとか、そんなことを言っていましたが、もちろんそんな嘘、子どもにだってわかります。私は読書好きで成績に関しては要領のいい方でしたしね。どんなに泣いても、勉強もお手伝いもするからとひざまずいて懇願を繰り返しても返してくれなかったんだよーーー!!。

(ずっと後、成人してからあの時の訳を聞いたら、やっぱり問題は8巻でそこだけ隠すと返ってまずいから全巻隠したなどと言っていました。うーー。)

Berubara1_1

さて、それからがたいへんです。11歳の私は自力で買いなおさねばと決心しました。どうしてももう一度オスカルやアンドレやロザリーや黒い騎士に、悲壮な女王アントワネットに出会わなければなりません。困ったことに、当時私の小遣いは申告制で欲しいものがある時に申告してその分のお金をもらうという形でした。しかし、母には言えません。

この時、スヌーピーの英語の漫画が家にたくさんあったので、貸し漫画屋もどきをすることにしました。自転車で女友達の家を回り、漫画を届けるふりをして2冊あるから1冊買いとてとか言って地道に秘密のお金を貯めた。でもって1冊、また1冊と買いなおしていったのです。この時は苦しかったな。確かマーガレットコミックスは1冊320円だったと思うんですがたいへんだった。

それから手に入れた後の隠し場所にも苦労しました。屋根裏がついた部屋だったのでそこに隠すことは当然思いついたけど、何かの機会に見つかってしまうかもしれない。部屋を慎重に調べた結果、天井の片隅の板が一枚だけ持ち上げることができ、そこに空間があることを発見。そこに外れないカバーをつけて慎重に隠し、読む時は蝋燭や懐中電灯を持ち込んで屋根裏部屋で読む。隠されたがゆえに、妄想はさらに豊かなイマジネーションとなり、ありとあらゆる物語のヴァリエーションを紡いでいた。親に見せられない絵を描く楽しみもこの頃覚えた。今は無いあの部屋のイメージを思い浮かべるだけで、当時、拡げた想像の翼が蘇ってくるような気がする。

禁断の書だったゆえに、より深く思い入れてしまったことをよく覚えています。しかし、私の母はとんでもない人だった。オスカルさまが血を吐くシーンで「これは肺結核。当時の医学では絶対に助からない」などと断言してくれて、え~~~!!!と少女の私を驚愕させてくれたり、「アンドレのタイプは、そうは思えなくても結果的に女を不幸にする。選ぶならベルナールにしなさい」とか。ママン!それは自分の豊かな恋愛経験からの意見なの!?って・・・。

今ならなんかわかりますよ?確かに中年期のオスカルさまはアル中で肺病病みだ。アンドレの犠牲的愛情は彼女を結果的に死へ追い込んでいくところがある。完全版を今読むと、黒い騎士の登場がこの物語のターニングポイントであることがよくわかります。アンドレの「武官はどんな時でも感情で行動するものじゃない」(このセリフはアンドレ死後もアランに投影されてオスカルを縛るすごいセリフである)とベルナールの「王室の飾り人形!」が、彼女を戻ることのできない「武官」にしちゃったんだよなぁ。ま、もともと、お父様のジャルジェ将軍が悪いんだけどさ~。それでも結婚させようとした時期がもっと早ければ別の道があった。後に出たル・ルーの登場するジャルジェ将軍の息子現るの外伝が黒い騎士を捕まえる寸前時期なのもよくわかる。

アンドレとベルナール(黒い騎士)はダブルキャストですよねぇ。実はオスカルとロザリーも女性の中の少年性と少女性を分け合っている。さらにアランと妹のディアンヌもトリプルキャスト?この漫画は、少女にとって二重に三重に恋のできる素晴らしくお得な恋愛漫画なんだけど、男性にはまず絶対に生理的に理解できない漫画なんだよね。

「栄光のナポレオン」でベルナールが「アランは一生分の片思いをしてしまったから、もう恋愛はできない」というのに対して、ロザリーは1児の母になっているのに、「ダメ、オスカルさまはわたしのものよ」と言って、ベルナールに「ロザリー、おまえねー」と言われているのに笑った。そうよ、さすがは全国の少女代表、春風ロザリー、「片思い」なら絶対アランなんかに負けないよね~。アランにはアンドレの死後1パーセントの片思い成就の可能性があるかもしれないけどさ、ロザリーの可能性は限りなく0なんだから~。

『少女にとっては「片思い」こそが永遠の「恋」である。』

途中です。後でもう一度書きなおします。

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2006年9月15日 (金)

いろは出産

いろは出産しました。

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花売り娘の本分

えーっと、うちの猫いろはの出産が間近で気になって外出できないし、仕事も手につかないので、ここ2・3日かけて「ラ・セーヌの星」全話見てしまいました。そのうち、どうしても「ベルばら」が読みたくなって、真夜中にアマゾンで「ベルサイユのばら」完全版を注文。ついでに前から読みたかった池田理代子先生の「ナポレオン」も注文。翌日届いてしまいました。すごいですね~。一歩も外に出なくても驚くべき満足度で欲望が満たせるインターネット現代社会。引きこもり絶賛応援中って感じです(いや冗談でなくて)。

でもって「ラ・セーヌの星」全39話

今見るとすごいです。あの当時は”組合活動”とか”インフレ”っとか”遵法闘争”とか、やっぱり市民革命進行中だったんですねえ。細かい抵抗運動や座り込みとかがあの時代という感じ。テーマは意外に現代的でもあります。格差拡大、階級破壊されていく社会にどのように個人が対応していくかという部分とか。

シモーヌ、いいですよ。どこがいいって、自分で貴族と平民のどちらを選ぶかという問題に自分から”市民”を選んでいる。

大貴族の養女とシテ島の花屋かという選択なんですが、彼女は花屋を選びます。シモーヌには生業があるんですね。物語の中半からは職業人としての意識も高く、誇りを持って花売り娘やってます。単に花を売っているのではなく、花を買う時の人の気持ちを知って、励ましや希望としての花を売っているの。昼間は荷馬車に花を積んでロバを引く花売り娘。夜は義賊ラ・セーヌの星。

いや~、もうシテ島の全員が絶対、ラ・セーヌの星はシモーヌって知ってると思うんだけど、ザラール隊長(声は次元大介の小林清志さん)、最終回2回前でシモーヌだと知ってどうしてそんなに驚くよ?って感じなんですけど。シモーヌもなかなかしたたか者でして、花売り娘の時はならず者にショバ代請求されても大人しく払おうとするの。でもって正義感ある出稼ぎ労働者に助けてもらったり。

街の人もずるくてラ・セーヌの星には守ってもらうんだけど、花売り娘シモーヌは守ろうとするんだよね。考えてみるとラ・セーヌの星は女なら誰でも演じることが可能な存在なんですよね。9話で修道院のルームメイト、ミシェルが変装して戦って死んじゃうしね。あの太腿も眼くらましとして重要なのかも~(子どもの頃見た時はなんか妙に色気があってイヤだったんですが~)。シモーヌもさ~、ラストの方の回で、ラ・セーヌの星の時は太腿丸出しのくせに、花売り娘の時のスカートのすそを持ち上げて洗濯している時に見られた時は頬を赤らめているの。(そうゆことのできる君はもう少女じゃなくて少女を演出している女だぞ~~っと突っ込んでみる)

シモーヌは自分が守ってもらう時と相手を守るべき時の使い分けがすごくうまい!このシリーズを作った人はオスカルとロザリーからヒントを得てこのキャラクターを作ったんだろうけど、ある意味女性側からは作れそうで作れないキャラクターですね。当時、男の子に人気で女の子が冷めていたのも改めてよくわかりました。大人の女になって見ると別の意味でおもしろいです。

今見るとシモーヌいいなあ。全く覚えてないキャラだった革命家のミラン、いい男だったんだー。ごめんね。子どもの頃は完全にアウトオブ眼中だったよー。つうかこのストーリー子どもでは理解しきれないよ。一見完全懲悪に見えても、革命が起きるから反転するし、誰が良くて悪いかわからなくなるし、戦いの意味も後半は非常に難しくなる。

黒いチューリップの広川太一郎さんとミランの富山敬さん、ザラール隊長の小林清志さん、あとゲストの男性に毎回、争われて代わる替わる口説かれているようなストーリーだ。男性諸君はねえ、みんな、シモーヌが大好きなんだよ~~。

にもかかわらず!(というかだからこそ?)これって全然少女漫画でないです。だってシモーヌ、恋に溺れてない!君、君、ずいぶん冷静じゃない?ってっつっこんじゃうぞ。昼間は花屋、夜は大事な人を救い出すために牢破りを黙々とこなしてる。愛されまくっているけど、恋してないよ~。ロベールとだって義兄妹で同志って感じだしさ、ラストでさえ恋人同士じゃない養父母役を兄妹でやっている感じだよ?、ミランは幼馴染以外の何者でもないし。女の子から見ると全然おもしろくないです、これ。

だからね、ベルばらが読みたくなったんだー。ベルばらを改めて読むと、少女から見たらやっぱり絶対にこっちです。登場人物全部ちゃんと、恋をし、愛に生きております。

あ、でもね、ベルばらは使い分けできてない。殉死しちゃう。

恋も仕事もなんていっている独身女性の皆さん!家庭と仕事の両立なんていっている既婚女性の皆さん!やりすぎちゃダメです。どっちにも逃げ場がなくなった時、過労死しちゃいますよーーー。(いやー、すみません、実は今自戒をこめて自分に言ってます。仕事も家事もサボっています。)

シモーヌのえらいところは、きちんと「花売り娘の本分」をわきまえていることだー。守られるべき時に守ってもらい、守るべきものは守り、励ますべき時に花を添えて励ます。ラ・セーヌの星は死んでしまっても、花売り娘シモーヌは生きていける。どこから仕入れているのか知らんが、おばあちゃんになっても革命を生き抜いてどこかの国で誇りを持って花屋をしてるね。きっと。

というわけで、次はロバつながりでペリーヌ物語の無料配信を希望。もう一度見てみたいです。

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2006年9月12日 (火)

生き延びていくシモーヌ

でもって、「ラ・セーヌの星」に話は戻るのですが、

「ラ・セーヌの星」の突っ込み所としては、レオタードで太もも丸出しで暴徒のあふれるパリに現れるはずがないだろ!とか、同母姉妹ならともかく神聖ローマ皇帝の落胤という異母姉妹が仲良くなるはずないだろ!などいろいろあるんですが、まあ、男性側から見ると男装の女性がパリの軍隊を指揮というより虚構性が弱いんでしょうか?・・・そういう物語になってます。

シモーヌ、全然悩んでません。すごいなぁっと改めて関心したところは、1話でミラン(シモーヌの幼友達、ロビスピエールがモデル?)のセリフ。パリ市民から宮廷で使う贅沢品を買い上げるのにフランス国債で払うと言われて、シモーヌが国債って何?と問うと紙切れさと答えるところとか,・・。4話で貴重な黒バラを王妃様のために3時間で集めろと言われて協力して集めきるパリ花問屋組合(ギルド?)の結束と強力さとか。まあ、貴族の贅沢さを支えられるのは平民の経済的な強さであって、学生時代の歴史の先生がフランス革命の市民は貧しかったから革命を起こしたのではなく、当時ヨーロッパで最も豊かな市民であったので革命を起こせたのだと言っていた意味が改めてわかりました。(先生ありがとう((笑))

シモーヌ、思っていたより強い。なんか昔見た時は黒いチューリップによく助けられていたような気がしてたけど、彼が追放されてからは結構1人で勝っているし、弟分のジャンをはじめシテ島の皆さんの協力を得るのがとても上手。女の子として無敵だなあ~~。

27話からはガンダム制作以前の富野喜幸監督でテンポも速く良いです。昔はイヤらしいヤツと思っていたザラール隊長も職務熱心なおかつ革命をうまく生き抜く知恵ある狡猾者で見所ありです。(警備隊長フーシェがモデルなんでしょうか?)

最後にシモーヌはマリーアントワネットの娘と息子(マリーテレーズとルイ・シャルル)を助け出し、黒いチューリップとともにその養父母役となって外国へ亡命します。その時に、民衆から「お前は平民と貴族のどちらの味方なんだ?」みたいなセリフがあるのですが、ラ・セーヌの星は「どちらでもない、私は弱い者の味方だ」と言い放ち、罪なく殺されそうになる子どもたちを助けるのでした。

この1点においては、貴族と平民の狭間に最後まで悩むことになったであろうオスカルの苦しみを、シモーヌは少女役から母親役に転換することによって難無く逃れているといえる。

えーーと、「ラ・セーヌの星」の虚構性にはもちろん笑っちゃうところもいっぱいなのですが、主題歌をフランス人の少女アレーヌさん(姓は何ていうんでしょう?)が歌っていて、allons-y (行きましょう)とか l'espoir(希望)とかやたら正確な発音で言ってくれます。日本語は”ぎゅいーんのちゅるーぎおーふりゅぅーのーだー”(銀の剣を振るうのだ)とか歌ってくれていてとても良いです。

シモーヌは、「ベルばら」のロザリーと同じく、革命を最後まで生き延びます。革命というのは起こしているうちに、何のためにどうして戦っているのか意義を見失いがちなのですが、最後まで生き延びるというのはたいへんなことです。

えーーっと、まとまらないのであとで見返してまた書き加えるかもしれませんが、とりあえず上げておきます。

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革命と2重越境

今では私も大人なので、ベルばらの宝塚公演も全然OKだしすばらしいと思うのですが、当時中学生だった頃はちょっと拒否反応という関東の女子は少なからずいたのです。

どういうことかというと、オスカルさまが女性なのはいいんです。女性の男装はもちろんOK。でも、アンドレとアランは女性が演じるのに抵抗があったのです。個人的にはフェルゼンとジェローデルも女性が演じてもOKかも。

どうして?といわれると、それはですねー。

「ベルサイユのばら」のオスカルが不朽の名作としてのカリスマ存在になったのは、オスカルの”苦悩”にあると思っているからなのですよ。オスカルさまはバスティーユ監獄襲撃の際にお亡くなりになりますが(私も学校を休んで泣きました)、もし生きていらしたとしても(やはりここは敬語ですね)、その後の貴族皆殺し、敵味方なしの恐怖政治の時代を生き抜けなかったでしょう。(なんという愚民め!とか怒り嘆く中年期のオスカルさまを見たかった気もしますが)

つまりオスカルさまの”苦しみ悩み、あがく人間としての女性”というのが非常に新鮮で、たいへんに超越した存在だったのです。リボンの騎士をはるかに超えてます。1972年のあの時代でないともうああいうキャラクターは描けないでしょう。単に男装しているだけでなく、人間として苦悩している。貴族の出自とその環境に誇りを持ちながら、平民の意識の高さに気づき、同じ人間として階級を超えて人を愛することができ、矛盾と真正面から向き合って臆するところがない。それはただの男装だの耽美だのを超えたキャラクターだったんですね。

そのためにですね・・・。彼女を愛するアンドレは平民であり、アランは下級貴族なんですが、越境する男性存在そのものでないとならない。原作では5巻でアンドレはオスカルのブラウスを引き裂きますし(きゃーー!)、7巻でアランは無理やり唇を奪う~(ぎゃー!)! 

ちょっと考えてみてください。完全身分社会であるフランス革命以前では、両者ともに、即!!良くて失職!!、悪くて銃殺!!!ですよー。

にもかかわらず、彼らは強烈な男性のリピドーを引っさげてこういう行為に走り、なおかつオスカルはそれを糾弾しません。(できる立場にいながら、女の弱さを正当化しない)このへんが革命そのものであり、オスカルは女性として男性側に越境しているとともに、貴族・平民の身分階級を越境する2重越境存在として君臨しているのです。

こういうところが実はどうしてもアンドレとアランだけはどうしても男性に演じてもらいたいと思ってしまうところなのでした。同性である女性に演じられるとただの愛に殉死する存在になってしまうんだもの~。もちろん愛に生きるのも女としては大切な点なんですけどね~。が、が、それ以上の存在が革命であったのだと言いたいんですね。

(ごめんなさい。興奮しています。さらに続きます)

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フランス革命とかラ・セーヌの星続き

日曜日に西荻に行き、アテスウェイでケーキを買ったのですが、時かけで芳山和子さんの食べているアテスウェイは à tes souhaits  ”ア テスウェ”だったのです!

なーんて何をやっているんですかと言われそうですが、ケーキはとてもおいしかったです。なんで真琴は京成線近所から自転車で上野に行くのに西荻まで空間も飛んでるのかなあ~。”ア テスウェ”はブルゴーニュで修行した職人さんだそうで、ゲランドの塩を使ってます。やすくん好みの味です。おいしいケーキ屋さんです。まさかフランス語だとは思ってなかったので店名に戸惑った私。えっと、”あなたの望みのままに”とか”あなたの望みがかないますように”みたいな意味でしょうか。

さて、「ラ・セーヌの星」の続きです。関係ないけど、うちの近くの神田川わきに鄙びた「和風カラオケ喫茶ラ・セーヌ」というのがありまして、通るたびに何故に神田川のわきに~ー?っと思ってしまいます。老後はパリのセーヌ川の上流に「仏風シャンソン喫茶神田川」という店を出してみたいという欲望に駆られるのですが~・・・・っと脱線しました。

「ラ・セーヌの星」の本放送は私が小6か中1くらいでしたから、ベルサイユのばらのマーガレット連載が終わってまもなくのことです。本当はベルばらのアニメ化をしたかったらしいのですが、版権とかいろいろあったらしい。関西の方は意外にも知らなかったりします。何故なら当時伊勢丹の単一スポンサー(すごい)だったからです。内容を見たいかたはYahoo無料配信で

http://streaming.yahoo.co.jp/p/t/00154/v00336/

もちろん今(9月いっぱい)見られるのですが、まあベルばらのファンで初めて見る方は”怪傑ロザリー”として見て頂ければ問題ないでしょう。間違ってもオスカル様とか出てくると思って見てはいけません。黒いチューリップは黒い騎士として見て頂ければ。あと、マリーアントワネットはあんまり美しくないので注意が必要です。それだけ守れば楽しく見られると思います。

パリの花売り娘シモーヌは実はマリーアントワネットの異母妹で~っというとんでも設定で始まり、のっけから”マリーを殺せー”の声がかかって世界史の教科書の1カットみたいなギロチンシーンから始まる恐るべきアニメです。当時、ベルばらの嵐を経験した大人びた女の子たちは冷めた眼で見ていたのですが、同級生の男の子たちにはたいへんな人気!!でした。裏(表?)番組が「勇者ライディーン」だったのですが、こちらは普段アニメなんか見ないジャニーズ系?(当時はこんな言葉なかったけど)好みの女の子ファンがひびき洸くんのファンで、男の子はラ・セーヌの星を,おませな女の子は勇者ライディーンを見るという逆転現象が・・・!(ま、今では珍しくないことですが、伊勢丹はこれでよかったんでしょうか)

要はこれは男性側から翻案されたベルばらです。

パリの花売り娘シモーヌというの設定は、よほど男性の心を捉えるらしく、私が高校か大学の頃、NHKのラジオフランス語講座では”パリの花売り娘シモーヌが見たフランス革命”という教材を当時東京大学教授の福井芳男先生が自ら作っていました。このラジオ講座を毎朝聞いていた覚えがあります。もちろん、マリーアントワネットの異母妹というとんでも裏設定はありませんでした。このラジオ講座のテキスト、探しております。知っている方もしありましたら教えてください。

(長くなるのでさらに続きます。)

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おまけ個展お礼マンガ

Omake 5月の個展の時の礼状マンガです。

その節、お寄り下さった皆様ありがとうございました。

次回展覧会を開く時には必ずお知らせさせて頂きます。

また、個展、作品展を開く方はぜひコメント欄やトラックバックでお知らせください。

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縞々斑点愛好家

愛猫いろはのお腹(出産間近)があまりにも可愛らしいので落書き。

http://yasukun.cocolog-nifty.com/ 参照

Onakasima1_1 腹模様。

こういうののシリーズは5月の個展にもいくつか出しました。

Nipple_1

ニップルアートシリーズ

小品一つはデザインのM先生が引き取ってくださいました。ありがとうございました。

Woman1 この作品は、くま様ご夫妻に引き取られました。

ありがとうございました。お酒に弱いやすくん、ご迷惑かけてごめんなさい。懲りずにどうかまた遊んでやってください。

Harukan 縞々大好きです。渦巻縞の愛猫はるか。

Jaguar2 その昔のジャガーの習作。

縞と斑点に関しては、ヒトサマの数倍くらいウルさいです。

ここの縞のかたちが変とか気に入らないとか言い出す変なヤツです。

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2006年9月10日 (日)

ベルばらとラ・セーヌの星

あーさがーきゅれば~きえーる、ふぁーたーし~

と、っとと、ラ・セーヌの星がYahoo動画で無料配信されています!!無料配信、なんていい時代なんでしょう!再びこれが見れるとは思ってもいませんでした。

関西の方は知らない方も多いのですが、これはかの有名な少女漫画不滅の金字塔(言ってて恥ずかしいケド)ベルサイユのばらの初期翻案のひとつなんですね。

私がベルサイユのばらに出会ったのは、盲腸入院中でした。当時、うちでは小学○年生以外のマンガは無かったのに、入院して痛い思いして可哀想だからということで母親が買ってきてくれたのです。6巻「オスカルの苦しみの巻」だったかな?当時、小学4年生だった私には難しすぎてよくわかりませんでした。しっかし、母があっという間にハマり、すぐに全巻買ってきてくれました。当時、母30代後半か40代前半あたりだったでしょうか?この人は「リボンの騎士」の現役世代ですから当然といえば当然です。

そうして私の少年少女分岐地点は「ベルサイユのばら」と同時に開けていったのでした。

(長くなりそうなので続く)

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最近の仕事

えーっと、ここは私の制作ページとして作ったんですが、本来の制作内容が全然描かれてなくて今はアニメページと化しています。本当は今年の5月に表参道で行った個展とかの内容もアップしようと思っていたんですが。

http://yasukun.cocolog-nifty.com/の3月~5月くらいには制作ノート的な内容も入っています。

しかし、アニメの方も一応、国費を頂いて研究している身なので、まあこれも仕事の一環ではあります。(趣味・実益400パーセントという感じですが)。今年の1月には「カリオストロの城」の色彩についての論文を書いております。もし、このブログを読んで別刷が欲しい方がいらっしゃいましたらコメント欄に連絡いただけるか、SPIE paper 6058-12でThe International Society for Optical Engineeringに請求してみてください。

うーん、結局、1人の人物が書いているといろいろと混乱してきますね。

しかも整理するのが何より苦手なやすくん、ここのページもガラクタ化しそうな予感です。

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2006年9月 1日 (金)

魔法の喪失

全国の芳山和子さん(下は34・5歳~上は53・4歳くらいか?)、かつて時をかけた少女の皆さん、その後いかがですか?少女の頃の夢はかないましたか?愛はどうですか?

なんて・・・、いや、私はダメです。自信ありません。

んーっと、芳山和子さんの時代には”普通”がうるさかった。彼女が最も恐れていたのは時を飛ぶことで普通の女子高校生に戻れなくなること。あの頃は”普通”が存在した。山口百恵ちゃんは”平凡な幸せ”を選び、キャンディーズの皆さんが”普通の女の子に戻りたーい”と叫んでいた頃。女の子は”普通”をはみ出すことが何より怖かったのですよー。

あの頃の”普通”ってなんだったんでしょうね。「タイムトラベラー」の頃、冒険SF少女ものは少なかった。同じ頃、「ベルサイユのばら」が大変な熱狂をもって少女たちに受け入れられていました。思えば、あの頃は男になるという性的越境をしないとなれない職業もできない冒険もたくさんあったんですねえ。原田知世さん版の薬学研究者のラストも、思えば1980年代的な象徴だったんだな~。

なんでこんなことを言っているかというと、実は先日細田守監督の大変良い演出だと評判の高い「おじゃ魔女どれみ どっかーん」をレンタルしてしてしてきたのですが、もちろん細田監督の回(40回と49回)もすごくよかった。いや、このシリーズ自体がすごくいい。

というかね、このどれみシリーズは4年もやっていて、これが最終シリーズ、小学校卒業間際ということもあるんですが、魔法、使ってないんですよ!ほとんど!!魔法少女ものなのに!!!

「魔法使いサリー」と「ひみつのアッコちゃん」初代世代としては、ちょっとびっくり。今の少女たちはもう魔法を必要としていないのかも。逆にいうと現代は魔法少女ものの危機?

魔女(見習いだけど)のくせに努力家だったりして、結構ちゃんと自力で問題解決。良くも悪くも均等法世代以降は、女の子に成れない職業なんてないしね~。(一応ね)。女の子にとって愛と希望は自力で出すものだしね~。逆に女性の”普通”が消失してしまった今は”母の普通”もなく”普通の家庭”もない時代なのかもしれません。

「おじゃ魔女どれみ どっかーん」は魔女見習いが7人も登場。7人ですよ7人。7人の小人か?魔女界の女王も先代の女王とか出てきて、「アンジェリーク」ですか?という感じ。というか、こんなに魔女がいたら魔女じゃないんじゃ・・(魔女の特殊性がない)

主役のドジっ娘、優等生の親友、家事一切をするしっかりものの女の子の3人は、サリーちゃん、すみれちゃん、よし子ちゃんの基本構成ですが、後は、主人公の妹、転入生のチャイドルと帰国子女。お母さんの職業も専業主婦、インテリアコーディネータ、写真家、離婚して介護士をしていたり、タレント志望だったママだったりして、この辺は現代の小学生を取り巻く環境なんでしょうか?

作画するのもたいへんだ。色分けもストロベリーレッド(濃・淡)、オレンジ、青、ライトパープル、イエローグリーン、ベビーピンクとマッキントッシュのカラーヴァリエーションを超えるとんでもなさ。

さらに魔女界の青いバラから生まれた魔女の赤ちゃんを皆で育てるという設定が入っていて、この辺はママ4?(ママ4とは・・「ママは小学4年生」、私が知っている中でも究極の「時をかける少女」もの。10歳の少女が時空を飛んでやってきた赤ちゃんのママ役になるのだが、その赤ちゃんは未来の彼女自身が産んだ赤ちゃん。つまり未来の母からみると小学校時代の自分に子どもを預けて育ててもらうというカッコウの托卵もびっくりの究極の子育てである。)

いつのまにか少女界には”普通”が消えていたんだなあ。しかし、そうなると”魔法”も必要ないわけで、このどれみシリーズを作ったスタッフの方々は女性プロデューサーの関弘美さんをはじめとして、すごく苦労して考えて作っていらっしゃいますよ。まあ、シリーズ4年間、200回以上も真剣にやれば魔法少女のほとんど全てをやりつくしてしまうでしょうけど。

魔女界の魔女の皆さんも、結婚してない,単性生殖(子どもは青いバラから産まれる),年を取らない,あるいは年齢調節ができるくらいが人間界と違うくらいで、あとはあんまりな~。あー、人間に魔女と見破られると魔女蛙になってしまうというところが問題か~。

最終的にどれみたち魔女見習いは、魔女になるか人間のままかの選択を迫られるんですが、人間を選択するんですな。(魔女界の次期女王には青いバラから産まれたハナちゃんがなる。)

人間でいいわけね~。そうだよね~。人間として成長して、友達もいて、恋もして、好きな職業にもついて、家族も持てる方がいいに決まっているよね~。(こんなにやったらたいへんだけど~~)

均等法世代の悪い癖として、あわよくば全部取ろうというところがあるのを深く深く反省しました。「おじゃ魔女どれみ どっかーん」の40話「魔女をやめた魔女」原田知世さんが声をあてているの、いいですよー。かつての魔法少女の方々にお薦めです。

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