私見 少女革命ウテナ
えーっと、後でまとめなおすとしてここでは私見で感想を箇条書きしておこうと思います。
「薔薇の花嫁」とは何か?
これの原形は「求められるままに答える女」なんでしょう。本質的なところをいうと、この原形は哺乳類における子どもに対する母親です。でも、このアニメ、母親の存在ってほどんどないんですよね。父親もほとんど出て来ないけど。子どもにとって、母親は唯一無二なもの、すべて自分の思いのままに動いてくれる(そうあって欲しい)存在です。でも母親はたいていの場合、父親を愛してもいるし、兄弟姉妹のものでもあり、1人の女でもあるので、自分だけの母でいてくれる期間は短い。
しょっぱなから、西園寺莢一が怒るのは、薔薇の花嫁のアンシーが自分の思い通りになってくれないから。他の男のことを考えていてなお、「求められるまま」になっているから。姫宮アンシーはよくひっぱたかれていますね。その他大勢の女の子にも樹璃にも。「求められるままに答える女」は、少女にとって腹立たしい存在でもあります。一見、”どんな男とも寝る女”に対しての潔癖な怒りのように見えるけど、その奥には子どもを差し置いて男(多くの場合は健全に父なんですが)の要求を先に叶える母への怒りが転化されていることもあります。この物語の前編は登場人物が皆子どもっぽく自分の欲望をかなえようとするのに、アンシーだけがものすごく大人(彼女は既に少女ではない)感じです。
「少女」とは何か?
ウテナに代表される無垢な潔癖さは、少女そのものです。彼女の怒りや決闘へ向かう動機は大人の女のものではない。まだ少年性と分化されていない思春期前期の感じさえします。彼女が「薔薇の花嫁」に対する違和感やアンシーに普通の少女らしさを取り戻そうとする正義感が、この作品を貫く最大の力でしょう。
中篇の黒薔薇編では「薔薇の花嫁」になる少女はもう女の領域に入り込んでいて、皆、大人の不純を抱えている。梢にしろ、詩織にしろ。また幹の父が電話で話している義母も薔薇の花嫁の格好になっているのが象徴的です。
「何」を革命しているのか?
アンシーを救いたいというのが、もちろんこの作品の主力テーマですが、アンシーは既に少女性を失ってしまった女です。兄によって失ったという解釈になってますが、私は個人的に暁生、アンシーの兄妹の両親像に興味があります。たいていの場合、兄妹相姦を防ぐのは母親の役割でここにも母親不在を感じます。そして暁生、アンシーの父は、暁生以上の暴力的行為をアンシーにしていたのでは?暁生が最初にアンシーを犯したのなら、彼は彼女を自分のものにしておくことができるはずです。(たとえ世間に何と言われても、アンシーを愛し彼女に愛されている限り、彼は少年性を失わないはず。)
でも暁生は王子様としてアンシーを救おうとしている。そして救えない。すごくうがった見方でファンに怒られそうですが、以下妄想をお許しください。暁生とアンシーの母は暁生の父と結ばれた後、なんらかの事件があって、別の男性と関係を持ちアンシーを生み亡くなっている。暁生の父はアンシーとは血縁関係がなく、なおかつその母の面影をアンシーに見て、彼女のかなり幼い時代に性的行為を行った。それが故に幼くしてアンシーは百万本の剣に刺されている。暁生は妹をなんとか救いたい。でも、この場合、同じ性的リピドーを持つ男性では剣が刺さるばかり。暁生は彼女の王子になろうとしても、父親と同じ行為をしてしまう自分を呪い、絶望する。
私が感心して気に入っているセリフは、後半最後の方の予告で、アンシーが「ウテナさま、ご存じでしたか?私がずっと、あなたを軽蔑してたってことを。」とかいう部分。うーん、すごいな。小公女セーラの「私はいつもそのつもりでした」くらい女としてすごいセリフ。そうでしょう、アンシーはもう自分に決して清らかで潔癖だった少女の時代が戻らないことを知っている。けど、ウテナは子どもっぽくて、アンシーを普通の少女にするために純粋に一生懸命。「あなたは何も知らないのね。」ってずっと思っていたんでしょう。
あと、好きなのは毒入りクッキーの話をアンシーがするところ。でも、ここではウテナも自分が入れた紅茶も毒入りなんだと返しています。そして二人でにっこり紅茶とクッキーを食べるシーン。をを、ウテナやるじゃん。成長しているじゃん!。これぞ女の会話!。女性の決闘ですよ~。剣を持って戦うのは男の決闘の真似であって、そんなことをしても女性の問題は解決しません。ここでウテナが女として成長したのは、恋を知ったからでしょうね。そしてひそかにアンシーを裏切っていることを自覚している。罪の意識を知って女へと成長していくウテナ。
そして、身投げするアンシーを助けるウテナ。ここで初めて二人の関係が逆転します。アンシーはウテナの少女性をひそかに守っている母的存在だったのですが、同じく母的存在をして守っている兄、暁生を裏切れなくて、死を選ぼうとする。そこでウテナが生へ最大限の力を使って、引っ張り戻しているのです。かつて、棺の中で死を選ぼうとしていた少女が、永遠に無数の剣に刺されている魔女にされてしまった少女を見て、生を選ぶ。ここでは反対に死のうとしているアンシーをウテナが生へ引っ張りあげています。
「女の子は王子になれない。けど彼女は世界を革命した。」
ウテナもまた暁生によって「薔薇の花嫁」にされ、アンシーの裏切りによって倒れます。確かに彼女は王子にはなれなかった。女の子だから。しかし、彼女は無数の剣に刺されているアンシーを開放することに成功します。アンシーの絶対無比の王子様だったディオス(かっての暁生)でもできなかった開放です。
これは「ウテナの新たに獲得された母性によって、アンシーが生み直された」と私は考えています。王子という男性が救えるのは無垢で清純なお姫様のみ。汚れてしまったお姫様は王子では救えない。
これを浄化し、開放できたのは、ウテナが新たな生命を生み出すことのできる女性だったからはないでしょうか。ウテナは女であったがゆえに、アンシーを救うことができた。清純な彼女を再び生み出すことができた。それこそが少女革命だった。っと私は考えています。
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