2006年12月29日 (金)

タブレットでお絵かき

一昨日、タブレットを買いに行きwacomのintuos PTZ-630というのを買いました。

いろいろお絵かきソフトをチェックしてSAIという評判のいいソフトをダウンロードして描いたところ、これが私には一番描きやすいよーです。ま、ためし描きでベルばらのシーンをらくがきー。(下手です。タブレットに慣れてないこともあるけど。もっちろん、ベルばらに関して言えば1000回以上読んでるとか全てのシーンをスケッチブックに描きつくしたという諸姉諸妹の方々には到底及びません。)

Sepia_1

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2006年12月26日 (火)

ベルサイユはパリの南西19キロ

ウィキペディア フランス語版が面白くてずっと引いてしまっています。http://fr.wikipedia.org/wiki/Versailles#G.C3.A9ographie

Yasukun_3  うーむ、ベルサイユはパリの南西19キロか。酔って喧嘩した後、アンドレはオスカルを抱っこして19キロを歩いたわけね。東京でいうと千葉方面では船橋、埼玉方面では浦和である。で、できない・・・ いや、不可能ではないんだけど・・・ パリっ子のお嬢さん方は、このシーンを見てさぞかし感動しただろうなあ。ロザリーが裸足で歩いた距離でもあるんだけどね。

フランス語版ベルサイユのばらは、なんつーかある種の臨場感があります。いや、まあ、日本語で読むと多少とも虚構性が高くても平気なんだけど、やっぱり自分の国の歴史となるとそう滅茶苦茶なことはできないっというか・・。

19キロ気を失ないっぱなしというのも無理があるな。やっぱり狸寝入りか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

その他の登場人物

えーっと、それから

4.マリー アントワネット

5.ハンス アクセル ド フェルセン

6.マルティーヌ ガブリエル ド ポリニャック

7.ロザリー ラモリエール

8.ベルナール シャトレ

9.ジャンヌ ド ラ モット

10.アラン ド ソワソン

となってます。ここまでが主要人物らしい。一応読んだけど、もう面倒くさくなったから訳さない。リクエストがあれば日本語訳書きます。

Hans Axel de Fersen のハンスは、Hを発音しないフランス人にとって難しい名前です。

語尾のsも発音しないので、アンになってしまう。そのせいかアクセルが使われることが多いです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ベルばら主要人物 3.おばあちゃん

なんと、3番目の主要人物は、おばあちゃん(ばあや)なんです!!!

マリーアントワネットでもフェルゼンでもありません!

どびっくり。

  • « Grand-mère » : On ne connaît pas le nom de cette vieille dame qui sert chez les Jarjayes.
  • おばあちゃん:ジャルジェ家で働くこの老夫人は名前がわかりません。

    (え?ちょっと待て!マロン・グラッセというれっきとした名前があるはず・・。っと思ってKana版La Rose de Versaillesを見ると老画家のセリフ Bonjour, Madame "Marron Glacé"になっている。"でくくられているんですね。これはもしかしてマロン・グラッセというのはフランス人にとって人の名前には思えないんじゃ?日本語でいうと、「こんにちは、”栗きんとん”さん」みたいな感じ?愛称にしか思えない名前か?くーーー!!)

    C'est la grand-mère d'André, mais Oscar la considère un peu comme la sienne.

    それはアンドレの祖母です。しかし、オスカルも彼女を彼女自身の祖母のようにちょっと思っています。

    (Kana版La Rose de Versaillesでは、オスカルもレニエ将軍もgrand-mèreと呼んでいます。フランス語のgrand-mèreは日本語のおばあちゃんと同じで祖母の意味と年老いた夫人の両方の意味があるのでこれでいいわけです。乳母nourriceというフランス語ももちろんありますが、ばあやはレニエの乳母かもしれないけど、オスカルの乳母ではないわけでこれは使えない。フランス語版ではオスカルもアンドレもgrand-mèreと呼んでいるので、二人は従兄妹のような雰囲気もあります。)

    Cette petite femme dévouée au cœur d'or mais au caractère bien trempé (surtout quand il s'agit de punir son petit-fils) ne peut s'empêcher, malgré les consignes du général de Jarjayes, de considérer Oscar comme une jeune fille : elle lui confectionne même des robes, dont Oscar n'en portera jamais qu'une seule, et qui serviront finalement à Rosalie ; Grand-mère s'attache d'ailleurs à la jeune fille comme si elle avait toujours fait partie de la famille.

    この小柄な女性は美しい心の献身的な、しかし筋金入りの性格で(とりわけ孫息子を罰する時には)、ジャルジェ将軍の命令にもかかわらず、オスカルを少女のように思うことを我慢することができない。彼女はオスカルのものであるドレスさえ作っている、オスカルは一度きりしか纏わなかったけれど、そしてそのドレスは最後にはロザリーが着ることになる。おばあちゃんは、その上、家族の一部にするかのように常にこの少女に接している。

    A la mort d'André et Oscar, elle meurt de chagrin.

    アンドレとオスカルの死に際して、彼女は悲しみに死す。

    くくく、不覚にも涙が・・・そうだよねえ。アンドレのおばあちゃんがいなかったら、いや、おばあちゃんがオスカルさまをお嬢様として育ててくれなかったなら、オスカルは女の心を持つことができなかっただろうし、この物語は成立しなかった。いやー、フランス語版いいですよぉー。おばあちゃんを3番目の主要人物にもってくる読者にも感動した。

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    ベルばら主要人物 2.アンドレ

    二人めの主要人物はアンドレです。さっそく行きましょう。

  • André Grandier : Depuis ses 7 ans, André est élevé par sa grand-mère qui est domestique chez les Jarjayes.
  • 7歳から、アンドレはジャルジェ家の奉公人である祖母によって育てられます。(ちょっと待て、アンドレが引き取られたのは8歳だ!・・という突っ込みはおいといて)

    Il est pour Oscar un camarade de jeu, un partenaire à l'épée, un ami et un confident, presque un frère. Mais en devenant adulte, il se rend compte que c'est de l'amour qu'il ressent pour elle, et souffre énormément en la voyant amoureuse d'Axel de Fersen.

    彼はオスカルのための遊び仲間、剣の相手、打ち明け話のできる友達、ほとんど兄、です。しかし、大人になって、彼は彼女に対して抱いていたのが愛であることに気づきます。そして彼女のアクセル ド フェルセンへの見え見えの恋に途方もなく苦しむのでした。

    Prêt à donner sa vie pour elle, il perd la vue en l'aidant à capturer le Masque Noir, sans jamais le lui révéler.

    彼女のために人生を捧げることができる状態にある彼は、マスク ノワール(黒い騎士)を捕らえるために彼女を助けて、視力を失います。決してそのことを彼女に明かすことなく。

    Quand Oscar répond enfin à son amour, tous deux sont emportés dans les batailles de la Révolution française et André meurt le 13 juillet ; Oscar ne lui survivra qu'un jour.

    オスカルがついにその愛に答えた時、二人ともフランス革命の戦いの中に奪われます。アンドレ7月13日に死す。オスカルは一日だけで彼を追っていくでしょう。

    という内容です。やっぱり自分の国の歴史だけあって、フランス革命時の記述がちょっと違う。混乱の中に二人とも死んでしまうという感じか?愛に生きているのはアンドレだ!

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    ベルばら主要人物 1.オスカル 

    Personnages principaux  主要人物紹介

    最初の主要人物はオスカルです。まあ、これは当然でしょう。

    • Oscar François de Jarjayes : Oscar est la sixième fille du général Rainier de Jarjayes. オスカルは、レニエ ド ジャルジェ将軍の6番目の娘です。

    Mais celui-ci, lassé de n'avoir eu que des filles, décide de l'élever comme un garçon et de lui apprendre l'art du combat pour qu'elle lui succède dans la garde royale.

    しかし、娘しか持てなかったそのことが少年のように彼女を育てようと決心させました。そして近衛隊で彼女を跡継ぎとするために戦いの技術を彼女に仕込みました。

    Si Oscar s'habille et se comporte comme un homme (elle ne portera une robe qu'une seule fois dans sa vie), elle a néanmoins le cœur d'une femme et tombe successivement amoureuse d'Axel de Fersen et d'André Grandier.

    オスカルは男のように装い、振舞っているのに(彼女は生涯一度のみしかドレスを纏わないでしょう) それにもかかわらず、彼女は女の心を持ち、相次いでアクセル ド フェルセンとアンドレ グランディエとの恋に落ちます。

    Bien qu'elle ait servi durant toute sa vie la famille royale, son caractère passionné et son sens aigu de la justice la poussent à adhérer aux idées révolutionnaires, et à diriger finalement l'assaut de la Bastille le 14 juillet 1789, combat dans lequel elle trouvera la mort.

    彼女は 生涯を通じて王室に勤めているにもかかわらず、彼女の情熱的な性格と正義に対する鋭い感覚は、彼女を革命の精神に同意させ、最後には1789年7月14日のバスティーユ襲撃を指揮して、その戦いの中で死を迎えるのです。

    とまあ、オスカルさまに関してはこんな感じです。結構いいんじゃないでしょうか?主体的に革命に臨んでいくところがちゃんと書いてある。

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    フランスでのベルばらの評判

    フランス語版 ウィキペディアには、ちゃんと”ベルサイユのばら”の項目があります!

    http://fr.wikipedia.org/wiki/La_Rose_de_Versailles

    ここに紹介されている文は、明らかに、Kana版Misatoさんの訳されたLa Rose de Versaillesのファンの方が書いています。とても面白いので訳してみます。

    Bref résumé de l'histoire  あらすじ

    L'histoire de La Rose de Versailles se déroule à la fin du XVIIIe siècle en France.

    ベルサイユのばらは18世紀の終わりフランスを舞台に繰り広げられるドラマです。

    Oscar est une jeune femme élevée en garçon par un père excédé de n'avoir que des filles.

    オスカルは少女で、娘を得ることがかなわなかった父によって少年として育てられました。

    L'éducation militaire d'Oscar lui permet de devenir le capitaine de la garde royale, chargée de la protection de la jeune dauphine Marie-Antoinette.

    オスカルに施された軍隊式教育は彼女を、若き王太子妃マリーアントワネットの護衛という重荷をもって近衛隊の大尉になることを許します。(直訳ですみません)

    Aux côtés d'Oscar, il y a André, son ami d'enfance, secrètement amoureux d'elle.

    オスカルのそばには、アンドレがいます。幼友達で彼女のひそかな恋人です。(をいをい!)

    Ensemble, ils devront affronter les premiers troubles annonçant la Révolution française.

    彼らは一緒にフランス革命を告げる最初の動乱に立ち向かうことになります。

    Une partie des personnages s'inspire de personnages historiques : le Chevalier de Jarjayes (Oscar François de Jarjayes), Marie-Antoinette d'Autriche, Hans Axel de Fersen, Martine Gabrielle de Polignac, Jeanne de la Motte.

    人物のある部分は歴史上の人物から着想されています。ジャルジェ騎士,マリーアントワネット,ハンス アクセル ド フェルセン,ジャンヌ ド ラ モット

    これがあらすじです。うーん、こういうふうに読まれているのか。

    登場人物紹介はもっとすごいんです。次に訳してみます。

    | | コメント (7) | トラックバック (0)

    愛ある翻訳者

    インターネットでいろいろ調べた結果、ベルサイユのばら フランス語版はMisato Kakizaki-Raillard さんという方が訳されているようです。

    http://www.mangakana.com/page.cfm?ContentId=547

    Misato Kakizaki-Raillard : Je suis venue à la traduction français / japonais parce que je suis japonaise, mais je suis née en France, c’est donc naturellement que j’ai cette double culture, et j’ai suivi une double scolarité. J’ai quand même fait japonais aux Langues Orientales. J’ai commencé par faire de la traduction de mangas, du japonais au français, là je travaille depuis à peu près 8 ans avec les éditions Kana, et plus récemment je fais du sous-titrage de dessins animés.

    フランス生まれの日本人。ごく自然に二つの文化と学校生活を送ったとのこと。それでもやはり東洋言語の日本語をしている。Kana出版社で漫画のフランス語翻訳を8年近くしている。最近はアニメーションの字幕をつけることもしているとのこと。

    フランスにおける日本のアニメ及び漫画の普及率は高く、英語圏よりずっと様々なジャンルの漫画が翻訳されています。ファン層も濃いです。しかし、インターネットはすごいです。

    フランス語のウィキペディアが読めることがわかって、セピアを引いてみました。

    http://fr.wikipedia.org/wiki/Sepia

    フランス語のSepiaはイカの墨色というより、イカそのものを指す言葉だった。この途端、私の脳裏にはあの感動的な愛の告白シーンの背景にイカが泳ぎまわる光景が!!昨日はオスカルさまのお誕生日だったというのになんてこと・・

    http://en.wikipedia.org/wiki/Sepia_tone

    英語では第一義の意味がイカではなくて、古い写真の色なんだけどねえ。

    んーっと、このブログを移そうかと思っています。最近お絵かき掲示板なるものを発見しました。(遅いって・・)タブレットを買えば、こういう光景を落書きしながら書き込みできるんだな~っと。

    セピア色を緑色と信じていた友達が多い理由ですが、これは1972-3年当時のマーガレットコミックス7巻の表紙のアンドレの髪が緑色だったことに起因していると思われます。全国の小学生に刷り込まれましたね。あと、フランス人の友人とオタク話をする際、”日本のアニメの登場人物には突拍子もない色が塗られているが何故だ?日本にはあういう髪の色の人間がいるのか?”とかよく聞かれます。

    最近は、”うん、秋葉原やビックサイトに行けば会えるよ”と答えてますが、昔は”物語をわかりやすくするために可哀想な人物の髪は青とか緑に塗られている”っと平気で答えていました。本当のところはどうなんでしょう?どなたかわかる方、教えてください。

    ついでに 黒ぶどうの髪の代わりに使われているJaisも引いてみました。

    http://fr.wikipedia.org/wiki/Jais

    こっちは炭化して化石状になった宝石のようで、青くメタリックに反射して黒く光るそうです。

    セピア色の化石が使えなかった分をこちらで補っているようです。Misatoさん、えらいです。フランス語版 ベルサイユのばら 本当に名訳です。

    | | コメント (0) | トラックバック (1)

    2006年12月18日 (月)

    身体を言う言葉

    「好きだから知らないまにいじめてしまう・・・・はは・・・ケツの青いがきのすることだよ」

    とアランを揶揄するアンドレのセリフですが・・・

    ケツの青いがき=おしりの蒙古班  モンゴロイドじゃないんだからー  と私は子どものころから突っ込んでいました。

    フランス語版ではさすがに

    Tu es amoureux d'elle, alors, inconsciemment, tu la provoque... haha... C'est bon pour les gamins ça!

    「お前は彼女に恋している人だ それで 無意識に彼女を挑発している、はは、それは腕白小僧のすることだ(直訳)」 

    になっていました。よかった。

    「あの胸に わたしはいままで平気で顔をうずめてきたのか あの胸に」

    Son torse... jusqu'à présent, m'étais-je toujours appuiyée...contre lui sans rien ressentir?     contre son torse...

    彼のトルソー 今まで私はいつも何も感じることなく自分をもたせかけていたのか、彼のトルソーに(直訳)

    Son torse 彼のトルソー トルソーは胴体だけの彫刻を指したりします。上半身、肩・胸から胴の身体全体をいう言葉。日本語よりぴったりした表現だと思う。というか日本語にはこういう胴体全体をオブジェのように言う言葉がないんですね。

    「私の知っている唇は」

    Les lèvres que je connais

    Les lèvres くちびるは複数です。フランス語では上くちびると下くちびるを別に数えているんですね。もっと言うと、くちびるの範囲は日本語より広いです。日本語ではくちびるは赤唇縁(口紅を塗る範囲)を指してますが、フランス語のLes lèvres は口の上、口ひげが生えている部分も指します。Les lèvres は上下の唇の内側も含んでいる感じですね。口吻部?いや、日本語のくちびるとは範囲が違う。

    Les lèvres que je connais... sont plus fortes plus moelleuses... elles fondent sur les miennes comme si elles m'aspiraient...

    私が知る唇は、より強くて、より柔かく、 あたかも私を吸い込むかのようにその唇は私の唇を形成する。(直訳すぎ~)

    うーん、ある意味、唇が主語ってすごい表現だ。しかも動詞はcomme si 節以外は全部現在形。現在形は不変の状況を表すので、私が知りうる唇は過去未来永劫これしかないっという感じ?

    Le baiser que je connais...

    私が知っている口づけ Le baiser ですね。

    | | コメント (0) | トラックバック (1)

    セピア記念日

    セピアといえば、ほら、もちろんあれですよ。

    「見果てぬ夢よ 永遠にこおりつきセピア色の化石ともなれ」

    ですよ。

    ところがフランス語版にはセピア色の記述がありません。

    Sepiaはもちろんフランス語なんですが。実は私、美大生だった分際でありながらかなり大きくなるまでセピア色がどんな色か知りませんでした。これは私だけでなく、美大の寮には大学に入って初めてセピア色を知ったという人が少なくなかった。私も含めて、セピア色を緑色の一種と誤解していた人のなんと多かったこと。セピア色は黒に近い濃い茶色です。

    Réve infini... Fige-toi à jamais deviens fossile... 果てしない夢、お前に永遠に凝固して化石となれ 

    というのがここのフランス語訳です。

    では何故、フランス語のSepiaが使われていないのでしょう?これはですね、たぶんSepiaのイメージが良くないから。Sepiaはイカの墨色なんですね。

    「見果てぬ夢よ 永遠にこおりつきイカの墨色の化石ともなれ」

    うわー、ダメだ。イカの墨、ロマンチックなシーンが台無しです。というわけでフランス語版では残念ながらセピア記念日と呼べないです。

    もう一つ、色の話

    「黒ぶどうの髪」 これもないんです。黒ぶどうは髪を形容する言葉としては不適切なのか?

    Tes cheveux noirs de jais, ton seul oeil qui brille telle une obsidienne...

    「お前の漆黒の髪、 お前の黒曜石のような輝くたった一つの瞳」

    になっています。黒曜石はune obsidienne です。

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    2006年12月17日 (日)

    ベルサイユのばら フランス語版

    前に更新してから2ヶ月以上も経ってしまいました。季節労働者なので、今週末ようやく冬季休業期間に入りました。

    報告がのびのびになってましたが、ベルサイユのばら フランス語版をAMAZON EUで購入しました。送料込み 61.92ユーロ! 重さ 上下巻+番外編 3冊で2.63キログラム!

    http://www.bedetheque.com/serie-5256-BD-Rose-de-Versailles-(La).html

    私が購入したのは 2ème Edition 2版です。2002年にブリュッセルで出版されています。

    売れとるんかー。

    こういうのは何ていうんでしょうか?逆輸入じゃなくて逆輸出?

    *これを書いている私の情けないフランス語力について・・

    子どもの頃、祖母から少し教わり、高校から大学にかけてアテネフランセで学ぶ。大学4年までに高等科1年まで終了。中等後期のみavec Eloge をもらう。が、その後10年ほど全くフランス語に触れない時期あり。今の職についてからフランスに行く機会が増え、15年ぶりに大学3年次の夏に40日間夏期講座に行った時のルームメイトAさんに再会。彼女はフランス人の額縁を作る方と結婚し、フランスの美術館の公認ガイドをしている。当然ながら日本人と結婚した私のフランス語力はその後全く伸びることはない。

    というわけで ベルサイユのばら フランス語版 いやー、これがイイんですよー。

    えーっと、まず何から書きましょうか。

    Oscar とAndré から。

    日本語だともちろんオスカルとアンドレでどちらも4音節ですが、Oscarだと2音節半,Andréだと2音節。短い音節でAndré, André と繰り返されると日本語で読むより全然いい感じです。Oscarの方はcarの部分がゆっくり発音されるのでさらに良い。

    どちらも母音で始まるので、Mon Oscar (俺のオスカル)と Mon André(私のアンドレ)がenchaînementしてくれてmonoscar と monɑdre になるのも綺麗だ。André, Mon André(アンドレ、私のアンドレ)は、なんとたったの5音節で言えてしまう。

    *enchaînement フランス語の調音規則 フランス語では子音で終わる語の次に母音ではじまる語がくる場合、発音される語末の音と次にくる語頭の音と結びつけて発音します。この現象を アンシェヌマン といいます

    ロザリー 日本語で読んでいる時はロにアクセントを置いて読んでいるのに、Rosalieとなるとlieの方にアクセントがあることに気づいたりする。

    *性数一致

    これは後で詳しく述べますが、フランス語では性数一致するのでオスカルが女性として振舞っているのか男性として振舞っているのか、また女性として見られているのか、男性として見られているのかがたいへん重要です。

    このフランス語翻訳者の方はMisato氏 絵の方の翻案は Eric Montésinos氏 となってますが、思うにこの方はアンドレファンですな。アンドレのセリフの翻訳にはたいへんな愛を感じます。最初っからアンドレはオスカルを女性形で呼んでます。

    Tu es bête! idiote! imbécile!  このとんま まぬけ どじ idioteが女性形 男性形ではidiot

    こんなところまで女性形で呼ばなくてもと思うんですが・・まあ、女性として完全に意識しているということでしょう。アンドレのセリフは最初から最後までオスカルを女性扱い。彼だけはOscare(オスカルの女性形・・そんなものありませんが)と呼んでいるのではと思ってしまう・・。

    反対にオスカルの父 ジャルジェ将軍 Général de Jarjayesは、Oscar mon fils ”オスカル、我が息子よ” に始まって オスカルに結婚を勧めるまでずっと男性形で通します。ちなみにオスカルの母 ジャルジェ夫人の呼びかけは Oscar mon enfant ”オスカル 我が子よ” ma fille 我が娘と呼んであげられないところが涙です・・・。

    最初、通しでざっと読んだ時、日本語と最も印象が異なったのがこの点で、アンドレとジャルジェ将軍との会話が面白いです。アンドレとジャルジェ将軍との会話はあんまりないんですが、

    オスカルがゲメネ公爵と決闘になるのを止めるシーン

    アンドレのセリフ

    Monsieur de Jarjayes! Empêchez cela! ムッシュー ジャルジェ この事態を妨げてください。日本語原文”旦那様 止めてください” 彼女 la を止めてくださいではなく 中性の指示代名詞celaを使っているところがうまい。

    これに対してジャルジェ将軍は、「”彼”が決闘できないようなら跡継ぎにしなかった」と言ってます。

    次、オスカルがフランス衛兵隊に入る時、アンドレを護衛につけるシーン

    Protège-le jusqu'à ce que cet orgueilleux s'enfuie parce qu'il s'est fait casser le nez!

    「この”傲慢者(男性形)”が、”彼の”鼻を折られて逃げ出すまで”彼を”守れ!」

    とまあ、オスカルを表すのに男性形を3回繰り返すほどの徹底ぶり、恐るべし、フランス語版ジャルパパ。

    こんな調子なので結婚を勧める時もいきなりの子ども扱い。

    C'est de la Tyrannie! ”横暴でございます!” のセリフがものすごく妥当な感じ。封建親父ジャルパパ!

    それだけに

    ジャルパパに成敗されそうになるオスカルを助けるために将軍を短剣で刺そうとするアンドレのシーンのセリフはすごい。

    ちなみに”成敗する”をフランス語でどう訳しているかというと

    Je vais corriger moi-méme. ”私が自分自身で修正する。”

    になってます。

    アンドレがジャルパパの腕をひねり上げたシーン

    Lâche-moi, André  ”放せ アンドレ”

    Jamais ”断じて” 

    ここでのアンドレのセリフはJamaisなんですよー。否定の最上級。英語でいうneverです。この人はねぇー、オスカルのブラウスをビリビリした時にオスカルに同じセリフ Lâche-moi, André  ”放せ アンドレ”と言われた時は、ただのNon!! だったのにですよー。

    Je t'ordonne de me lacher. 私はお前に放せと命令する。

    Je ne lacherai pas! 放すつもりはありません。

    Dans ce cas je t'affronterai aussi!! それならお前とも敵対する!!

    Très bien!! たいへん結構!!

    Mais avant... Je vous poignarderai et j'emmènerai Oscar... 

    けれどその前に、私はあなたを短剣で刺し、オスカルを連れていきます。

    とまあ、たいへん強い会話が交わされます. poignarder qn dans le dos 後ろから人を短剣で殺す(卑劣に人を裏切る)という意味もあるんですね。

    アンドレ 大恩ある旦那様になんてことを。2週間後のバスティーユ襲撃を待たずして、ジャルジェ家では革命が起きてしまったー!!という感じです。

    Je veux seulement vous donner ma vie  en echange de celle d'Oscar même si dix de mes vies ne suffiront jamais à remplacer la sienne...

    私はただあなたが私の命とオスカルのそれを変えてくれることを望んでいる、10の私の命でも”その彼女のもの”と取り替えるのには決して充分でないだろうけれども。(直訳)

    ここで初めてアンドレがジャルジェ将軍にオスカルのことを女性として伝える表現が出てきます。

    でもって 「お前を殺せば、ばあやも生き延びてはいないだろう。」と続き

    Tu es trop rusé... お前は悪賢すぎる。(日本語では「知能犯め」ですね)

    となります。

    最後に廊下でアンドレとジャルパパの交わす会話

    Est-ce qu'Oscar se rend de nouveau au régiment?

    オスカルは新しい連隊に行っているか?

    Ses sordats n'obéissent qu'a elle.

    兵士たちは、”彼女”にしか従いません。

    私はここを最初に読んだ時、ぶっとびましたー。うっわー、アンドレ、旦那様に向かってもう”俺の女”呼ばわりー?原文は「オスカルの言うことでなければききません」ですから、わざわざ彼女elleを入れる必要はないんです。

    その後、「ただお前が貴族であったなら」というセリフがくるんですね。

    Deviens son ombre... Et tant qu'il y aura de la lumière, suis-la comme son ombre.

    影になれ、光ある限りその影のように”彼女”に付き添え。

    というジャルパパのセリフがきます。うん、やったね。衛兵隊での護衛を命じた時は「”彼”を守れ」ですから。「”彼女”に付き添え」ということは、女としてのオスカルを

    Je compte sur toi... お前に頼んだぞ ということです。

    アンドレの答えは

    Vous pouvez.

    の後は省略されてますが、Vous pouvez tout sur moi... すべて私にお任せください。という意味ですねえ。

    なんだぁー、アンドレ、婿として認められてんじゃん。いや、日本語でももちろんこのシーンはジャルパパから恋人同士の黙認を得た感じではあるんですが、フランス語版はジャルパパがそれまで超封建親父だっただけに晴れて女としてのオスカルを引き渡された?という感じです。

    えーっと、アンドレの下克上物語? アンドレ確信犯、悪賢いヤツ?

    えっとベルばらってそういう話でしたっけ?

    | | コメント (14) | トラックバック (0)

    2006年10月 5日 (木)

    私見 少女革命ウテナ

    えーっと、後でまとめなおすとしてここでは私見で感想を箇条書きしておこうと思います。

    「薔薇の花嫁」とは何か?

    これの原形は「求められるままに答える女」なんでしょう。本質的なところをいうと、この原形は哺乳類における子どもに対する母親です。でも、このアニメ、母親の存在ってほどんどないんですよね。父親もほとんど出て来ないけど。子どもにとって、母親は唯一無二なもの、すべて自分の思いのままに動いてくれる(そうあって欲しい)存在です。でも母親はたいていの場合、父親を愛してもいるし、兄弟姉妹のものでもあり、1人の女でもあるので、自分だけの母でいてくれる期間は短い。

    しょっぱなから、西園寺莢一が怒るのは、薔薇の花嫁のアンシーが自分の思い通りになってくれないから。他の男のことを考えていてなお、「求められるまま」になっているから。姫宮アンシーはよくひっぱたかれていますね。その他大勢の女の子にも樹璃にも。「求められるままに答える女」は、少女にとって腹立たしい存在でもあります。一見、”どんな男とも寝る女”に対しての潔癖な怒りのように見えるけど、その奥には子どもを差し置いて男(多くの場合は健全に父なんですが)の要求を先に叶える母への怒りが転化されていることもあります。この物語の前編は登場人物が皆子どもっぽく自分の欲望をかなえようとするのに、アンシーだけがものすごく大人(彼女は既に少女ではない)感じです。

    「少女」とは何か?

    ウテナに代表される無垢な潔癖さは、少女そのものです。彼女の怒りや決闘へ向かう動機は大人の女のものではない。まだ少年性と分化されていない思春期前期の感じさえします。彼女が「薔薇の花嫁」に対する違和感やアンシーに普通の少女らしさを取り戻そうとする正義感が、この作品を貫く最大の力でしょう。

    中篇の黒薔薇編では「薔薇の花嫁」になる少女はもう女の領域に入り込んでいて、皆、大人の不純を抱えている。梢にしろ、詩織にしろ。また幹の父が電話で話している義母も薔薇の花嫁の格好になっているのが象徴的です。

    「何」を革命しているのか?

    アンシーを救いたいというのが、もちろんこの作品の主力テーマですが、アンシーは既に少女性を失ってしまった女です。兄によって失ったという解釈になってますが、私は個人的に暁生、アンシーの兄妹の両親像に興味があります。たいていの場合、兄妹相姦を防ぐのは母親の役割でここにも母親不在を感じます。そして暁生、アンシーの父は、暁生以上の暴力的行為をアンシーにしていたのでは?暁生が最初にアンシーを犯したのなら、彼は彼女を自分のものにしておくことができるはずです。(たとえ世間に何と言われても、アンシーを愛し彼女に愛されている限り、彼は少年性を失わないはず。)

    でも暁生は王子様としてアンシーを救おうとしている。そして救えない。すごくうがった見方でファンに怒られそうですが、以下妄想をお許しください。暁生とアンシーの母は暁生の父と結ばれた後、なんらかの事件があって、別の男性と関係を持ちアンシーを生み亡くなっている。暁生の父はアンシーとは血縁関係がなく、なおかつその母の面影をアンシーに見て、彼女のかなり幼い時代に性的行為を行った。それが故に幼くしてアンシーは百万本の剣に刺されている。暁生は妹をなんとか救いたい。でも、この場合、同じ性的リピドーを持つ男性では剣が刺さるばかり。暁生は彼女の王子になろうとしても、父親と同じ行為をしてしまう自分を呪い、絶望する。

    私が感心して気に入っているセリフは、後半最後の方の予告で、アンシーが「ウテナさま、ご存じでしたか?私がずっと、あなたを軽蔑してたってことを。」とかいう部分。うーん、すごいな。小公女セーラの「私はいつもそのつもりでした」くらい女としてすごいセリフ。そうでしょう、アンシーはもう自分に決して清らかで潔癖だった少女の時代が戻らないことを知っている。けど、ウテナは子どもっぽくて、アンシーを普通の少女にするために純粋に一生懸命。「あなたは何も知らないのね。」ってずっと思っていたんでしょう。

    あと、好きなのは毒入りクッキーの話をアンシーがするところ。でも、ここではウテナも自分が入れた紅茶も毒入りなんだと返しています。そして二人でにっこり紅茶とクッキーを食べるシーン。をを、ウテナやるじゃん。成長しているじゃん!。これぞ女の会話!。女性の決闘ですよ~。剣を持って戦うのは男の決闘の真似であって、そんなことをしても女性の問題は解決しません。ここでウテナが女として成長したのは、恋を知ったからでしょうね。そしてひそかにアンシーを裏切っていることを自覚している。罪の意識を知って女へと成長していくウテナ。

    そして、身投げするアンシーを助けるウテナ。ここで初めて二人の関係が逆転します。アンシーはウテナの少女性をひそかに守っている母的存在だったのですが、同じく母的存在をして守っている兄、暁生を裏切れなくて、死を選ぼうとする。そこでウテナが生へ最大限の力を使って、引っ張り戻しているのです。かつて、棺の中で死を選ぼうとしていた少女が、永遠に無数の剣に刺されている魔女にされてしまった少女を見て、生を選ぶ。ここでは反対に死のうとしているアンシーをウテナが生へ引っ張りあげています。

    「女の子は王子になれない。けど彼女は世界を革命した。」

    ウテナもまた暁生によって「薔薇の花嫁」にされ、アンシーの裏切りによって倒れます。確かに彼女は王子にはなれなかった。女の子だから。しかし、彼女は無数の剣に刺されているアンシーを開放することに成功します。アンシーの絶対無比の王子様だったディオス(かっての暁生)でもできなかった開放です。

    これは「ウテナの新たに獲得された母性によって、アンシーが生み直された」と私は考えています。王子という男性が救えるのは無垢で清純なお姫様のみ。汚れてしまったお姫様は王子では救えない。

    これを浄化し、開放できたのは、ウテナが新たな生命を生み出すことのできる女性だったからはないでしょうか。ウテナは女であったがゆえに、アンシーを救うことができた。清純な彼女を再び生み出すことができた。それこそが少女革命だった。っと私は考えています。

    |

    2006年10月 3日 (火)

    少女革命ウテナ(その2 特撮演出)

    さて、続きです

    ウテナは不思議な作品です。これって、宝塚ファンの男性が作った少女アニメですよね?

    というか少女漫画としては一見すごく新鮮に見えるのですが、この演出は本来、特撮の手法じゃないでしょうか。それもスーパー戦隊ものとか宇宙刑事ものとかの・・。挿入歌とかすごくカッコいいけど決闘の舞台効果とか決闘での音楽の流れ方とか、幕間の影絵少女の暗示的ギャクの入り方とか、特撮そのものだと思う。好きだけど。セーラームーンも途中から少女戦隊ものになっていたのでその影響もあるのかなぁ。

    挑発→悪事→決闘→勝者→謎(幕間)→乞うご期待 という典型パターンですよ。私は「光戦隊マスクマン」を思い出しました。

    *「光戦隊マスクマン」:谷隼人さんが長官をやっていた戦隊もの。悪の地底帝国のお姫様と主人公が恋に落ち、イアル姫は赤いバラと一緒に氷詰めにされている。王女の双子のイガム王子が主人公と戦うが、実は王子は男装した少女(イアル姫と二役)であった。愛する恋人とそっくりの敵と戦わないとならない主人公の相克が素晴らしい。地底帝国の挿入歌もよかった。ファンだったのだが、ラストがあまりにもマヌケで・・・・・。当時一晩で16ページのマンガでラストを勝手に書き直してコミケで売った。20冊くらい売れた。ま、その程度ファンがいた女性にも人気のあった特撮です。号外~:ここ10年くらい特撮見てません。だから新しい話題をフっちゃや~よ。日曜朝枠になってから全く見てないさー。休日の朝なんか起きれるかーぃ。(影絵少女風に)

    実は最初、姫宮アンシーが私にとって近親憎悪的対象になるんじゃないかと心配してたのです。でんでん虫やマングースを可愛がってる変わり者でいじめられっ子なのにいじめに対して疎く、我が道を行って平気。薔薇の花嫁って聞こえはいいけど、要は勝者の賞品、マグダラのマリアってことでしょ?しかし、見初めてからは演出のスピード感と劇場効果の荒唐無稽さで気にならなくなった。むしろアンシーとても気に入った。

    ところで最初に西園寺に薔薇の花嫁としてアンシーを渡したのは誰?暁生ですか?そうすると暁生は決闘で西園寺にわざと負けてアンシーをくれてやったのか?ひでぇ男だ。

    西園寺くん、DV男でギャクだけど純粋な愛に生きる男だよねぇ。案外、アンシーとは似たもの同志では?両方ともマゾで変人だよ?人前で殴った分だけ二人だけになると膝まづいて涙をこぼして許しを請うていそうだ。日本人の典型的共依存DV夫婦のよーだ・・。

    アンシーは兄に売られた妹なのか?この物語には兄と妹が3組も出てきます。親の影がほとんどないのも特徴。一見、王子様とお姫様のシステムが繰り返し登場するので、その革命に捉われがちだけど、男性側の方から見ると平安時代の貴族に見られるような極めて日本的な妹背の関係システムの破壊じゃないでしょうか。「兄の野望と欲望の犠牲になる妹」の構図が気になります。

    ウテナはこの物語の完全な異分子。王子様という役柄を効果的に演出してますねぇ。でも彼女は男になろうとしているわけじゃないんだよね~。あの学ランに短パンも男装と言えるのか?そこがやっぱり男性が作ったキャラクターだなぁと思う。女の子としてもとても可愛い不思議なキャラクター。作った人があざといのか、生徒会長 桐生冬芽、あざといよね。うーん、それでもウテナを女装させることに成功する彼はなかなか男として私は良いと思うぞー。冬芽と西園寺は男としての野望に満ちていて健全なんだけど、暁生はラストの方の車暴走編からがヤダなぁ~。というかこんな不良理事長のいる学園イヤだぞ~。暁生、冬芽、西園寺の脱ぎ魔なところは何なの?これは女性サービスのつもりなんでしょーか?(なんかまちがってる)

    七実ちゃん(いきなりちゃんづけかい)は、最も従来の少女漫画的意地悪キャラですね。しかし、演出がすごい。カウベルの回のラストは少女漫画だとああいう演出にはしないよ。卵の回もいい。しかし、猫も捨てるは卵も捨てるは、全くもって母性の片鱗もない責任放棄残酷少女そのもので良いなあ。それなのにギャク可愛いキャラにできるところがすごいです。彼女は世界を革命する必要全く無し。同じ妹でもアンシーとある意味、対極にある存在?

    幹、梢の双子兄妹はとてもよかっただけにもう一ひねり欲しかったです。梢ちゃんは才能なんかなくとも光さす庭で笑っているだけで、お兄さんのお姫様でいられたはずなのにそれをあえて捨てていくんですね。「風と木の詩」のように、本来少女漫画だったら兄役が妹役の清さを守って汚れていきそうなものなんですが、梢はあえて自分の方が汚れ役になっている。この辺の逆転も面白かった。できれば、光さす庭アレンジでは、せっかくの双子設定を生かして「とりかへばや物語」して欲しかったな。兄の清らかさを守っているのは妹の方なのだから、薔薇の花嫁役をやっていたのは実は幹くんの方だったみたいな。

    樹璃さんと彼女を巡る三角関係・・・うーーーん、彼女は真性・・だよね。唯一女装しない人。瑠果と詩織。ここはこれだけでもう完結していて、もう一物語作れるんじゃないでしょか。ちょっと今回パス。魅力的だけど。

    黒薔薇編はちょっと退屈だった。そもそも少女の決闘の意味がない。女性が最も成れない職業が兵隊さんなんです。決闘の結果得られるものがないんです。少年漫画の場合、もう戦っていりゃあOK、永遠に続く戦いこそカタルシス。パトスの放出、リピドー万歳ってなものですが。少女の戦いには理由が必要でかつ戦い続けるのは難しいのです。女性の場合、子どものような弱い無力の存在を守る時のみ戦いの理由が明確に存在します。

    でもって、黒薔薇編は決闘相手が皆、嫉妬とか劣等感が理由になっているんだもの。この種の動機ではアンシーを守ろうとするウテナに勝てないですよ。演出はそれなりに面白かったけどね。あと、「あなたの進む道は用意してあります。」で終わる人と「あなたは世界を革命するしかないでしょう。」の人と、「あなたの道はここにはない」の人がいるところが面白かった。ちゃんと革命の意味がわかってるんだね。

    さて、ウテナが戦う理由ですが、これはもうアンシーのためですね。ウテナとアンシーは相互補完関係なんでしょうね。ウテナとアンシーの組み合わせがこの作品の鍵です。果たして何を革命したのか。薔薇の花嫁とは何を象徴しているのでしょうか。

    もう一回くらい続く。このページも後で整理しないと・・。読みにくくてすみません。

    |

    2006年10月 2日 (月)

    少女革命ウテナ(その1 寄り道)

    97年本放送当時は、とても忙しくて見れなかった少女革命ウテナ。ほんのちょっと飛び飛びで見ただけだったのでした。当時大学以来の親しいサークル仲間の友人がとてもハマッていて、「最後は本当に革命しちゃったのよ」と興奮してしゃべっていたので、ずっとずっと興味がありました。

    「橋本カツヨ」の名で「時かけ」の細田守監督が絵コンテを切っていたことを知り、ますます見たく・・。時かけカラオケにも一緒に行ってくださったTさんが全部DVDを持っていると知り、お借りしてこの度、全39話を見ることができましたよ~。歓喜!!Tさん、ありがとう!!!

    いや、想像していた以上に良かったです。さいとうちほさんの少女漫画本や特別編は読んでいたのであらかたのストーリーも知っていたんだけど、それ以上に演出や作画が工夫されており、音楽も良い!さっそく感想を・・というところなんですが、少し遠回りをお許しください。

    えーっと、私はベルばらの現役世代ですから、この話が池田理代子先生の「おにいさまへ」や宝塚舞台の影響下にあることがよくわかります。さらに余談、ベルばら現役世代は1リーブル=1972年当時の円換算が即時にできます。0.01リーブル=週間マーガレット一冊くらい?

    例:高校大学時代の学食で 「悪いが1リーブルほど貸してくれないか?」「おまえ、1リーブルも持っていないのか?」 で、「余分な金は持ち歩かないようにしている」とか、「何を言うか、1リーブルあればロザリーが一晩買えてしまうんだぞ」などと、掛け合い漫才をしながら200円くらいの定食やカップラーメンをすすってました。もちろん、美大の寮生活時代は夜な夜な「オスカルさま**喪失34歳の是非について」などの討論もやり尽くしておりました。

    脱線すみません。

    元に戻して。オスカルさまの中年期の苦悩については、先日このブログに書きましたが、自分も中年期をはるかに過ぎた現在、思うに女性の中年期の苦悩というのはたいへんウケが悪いテーマです。男にも女にも若いのにも年寄りにもウケが悪い!これだけ老若男女すべてにウケないテーマというのも珍しい。女の子も若い時はまあ苦しんで頑張って精一杯生きる・・・生意気でも・・・で、いいんだけどね。30台近くにもなれば、会社にいればお局様、家庭にいれば不機嫌な妻か神経質な母、支配的か鬱的かヒステリックな女かどっちにしろろくなことは言われません。あと、中年期の女性の権力も(子を守って戦う母は特例として)戦って支配する男性領域にはみ出すと無茶苦茶叩かれますね。男性だけでなく若い女性にも・・。

    これはたぶん、中年期の女性というのは、どんな人間であっても哺乳類にとっては「母」の存在を彷彿させるからだと思うのです。母が悩んでいるというのは子どもにとってそれだけで捨てられるのではないかと不安です。母の苦悩、不機嫌は子どもにとってたいへんな恐怖、ストレスであるので、つい恐れてご機嫌をとってしまう。でもって、男性も若い女性も、それが本当の母でないことにすぐ気づいて、自分ももう大人であることにもすぐ気づいて、なんで赤の他人の中年期の女性のご機嫌を取らねばならんのだと自分で自分をあさましく疎ましく思う。捨てられる恐怖などない、むしろ捨ててやれる存在とすら思う。そのとばっちりを必要以上に当の苦悩する女性にぶつけられてしまうような気がします。中年期の女性は、母でも妻でも管理職でもアシスタントでも、にこやかに笑って、優しくないとダメなのよ~~。

    それでね、彼の池田理代子先生も「オルフェウスの窓」を描いた後、私の大学時代に失踪なさって(失踪なさったのはその後の人生のために大変よかったと思っているのですが)その後、男装する女性像も男性的問題に苦悩する女性も描いてません。

    当時の少女たちはかなり早い時点で気づいたのです。このテーマは女と男でやるには悲壮すぎる。名誉男性として権力を治めても虚しいし、女に戻って愛に殉死してしまっても救いがない。幸福に人生を最後まで過ごすことができそうにない。

    だからその後、このテーマは少女漫画では同性同士でやることになりました。耽美とかやおいとか今で言うボーイズラブが流行ったのもたぶんその辺が最初の理由。男同士の方がこの関係がうまくいくことに気づいたといってもいいかもしれません。少女の男性的振る舞いより、少年を女性化しておいた方が、女性にとって客観的に性的問題をも描けるしね。パロディさえもパタリロをはじめとして主従を同性で行ってそれを時折変換していくだけで充分このテーマを描くことができる。宝塚では女同士でやることによって、恋愛における互いの対等性だけを純化することができる。同性で恋愛していれば、人生の中年期における男女間転換点(母性父性の役割)を迎えなくてすむからです。

    さてさて、長らく遠回りしました。

    少女革命ウテナは、久しく行われなかった少女の男装が出てきます。今回全39話見て、これは少女漫画ではないなあっとつくづく実感しました。制作スタッフの根幹に男性が・・非常に男性的なものがあります。いうなれば、袋小路に入ってしまった少女漫画への男性側からの逆襲です。

    驚きました。こんな逆襲がいつのまにか行われていたんですねえ。しかも少女の革命へちゃんたどりついている。次はその内容に触れていきたいと思います。

    |

    2006年9月22日 (金)

    禁断の書

    続きです。

    ここのところ、子どもの頃大好きだったものを掘り起こしているのは、自分の動機というかモチベーションが著しく下がっていることを実感しているから。

    若い頃は好きであればそれだけで情熱が沸いたし、できないことに対する悔しさもたくさんあったのでそういう悩みはなかった。今はお陰さまでがむしゃらにやらなくても、そこそこ程度のレベルはなんとかなる。それが問題で、モチベーションがちょっと下がるともう全然意欲がわかないのです。仕事に対するモチベーションをどこからかかき集めてこないとならない。飽きている。すぐつまらなくなる。

    母のことを書いておきます。母現在70歳。私の母は恋愛至上主義者で特に歴史ものに恋愛が絡む大河ロマンが大好き。王家の紋章50巻近くを買いためていて、嫁に出た娘の部屋の本棚に隠している。理由は自分の部屋に置いておくと客が来た時に恥ずかしいから。

    こらー、かつて私のベルばらを隠したくせに、何故、娘の部屋に自分の漫画を隠すんだー。ちなみに元私の部屋は客間になっていて、主に弟夫妻が来た時に使われているのである。義妹(弟の奥さん)は弟と同年生まれだけど早生まれなので私と学年は同じ。

    「うふ、お義姉さまって王家の紋章がお好きなのね」と思われていること必定である。(言葉遣いはこうじゃないだろうけど)

    母の悪いところは、美大に行った娘の部屋なら何を置いておいてもいいと思っていることだ。私は王家の紋章のファンではない、20巻ほど読んだら飽きた。だって繰り返しなんだも~ん。あと、ハーレクインヒストリカルロマンスシリーズを山ほど置いていくのもやめてくれー。何故、自分の部屋に置かん?と聞いたら、やっぱり義娘(弟の奥さん)に見られたら恥ずかしいからとか言いやがった~~。

    この母はポリニャック伯爵夫人のよーに、外面がよく、かつ立ち回りがうまいので、娘の私は子どもの頃からよく泣かされた。あ、でも、母のことは愛しているし、一人の女としてはとても尊敬しているのですよ。実際恋愛に関しては結婚自体が逃避行に近い大恋愛だったようだし、父は母にベタ惚れだしね。おばあちゃんになっても恋に恋する永遠の少女ロザリー、それはうちの母のことだと思う。

    また後で続きを書いて、直します。

    |

    屋根裏部屋幻想

    1973年の晩夏、私は自分の屋根裏部屋に金髪の少女たちと黒髪の少年たちを匿っていた。

    ベルサイユのばらを全巻買いなおすのは、実に3回めです。最初は前にも書いたとおり、盲腸入院中に母が買ってくれて、私は10歳の冬ですから最初は全く内容わからず。しかし、母は読んだ瞬間から大変に気に入ったらしく、その時点で売っていた7巻までの単行本をすぐに全部買ってきたくれた。盲腸入院から帰ってくる頃には、当然のように私もハマり、週刊マーガレットを毎週買うようになっていたように思う。

    母、当時40代少し前。少女時代に7歳下の妹の少女クラブを奪い取るようにして「リボンの騎士」を読んでいたというツワモノ。

    ところで私には一つ違いの弟がいて当時同室で暮らしていた。ベルばらは男の子にはたいへんに難しいマンガなんですが、そこは10歳の子どもの柔軟性で3ヶ月ほどで彼も熱狂的なファンに。彼は回想シーンの8歳~10歳くらいのオスカルが可愛くて好きと言っていたなぁ。大人のオスカルはまあとても手が出そうにない存在だから当然ですが。子ども部屋の1つのベットの上で全巻並べて二人で寝転がって読んでいました。

    そこで問題になるのは8巻です。オスカルとアンドレが結ばれるページです。当時、思春期突入前でしたが、母は先手を打ち、まず父母の寝室を客間に移すと宣言し、その部屋を私の部屋にすると言ってきたのでした。

    新しい部屋は屋根裏に出られる扉のついた北側の部屋で東の高い位置に小さな窓があり、私は自分の部屋を持てることは嬉しかったのでそこへ移りました。結局、部屋が手狭になったこともあり2年後には家の建て直しをしてしまったのでその部屋に住んでいたのはわずかな期間なのですが、今でも高い塔のてっぺんにあるようなのあの屋根裏部屋のイメージを幻想的に思い出します。

    それから、母は部屋を移した後、突然、ベルばら全9巻を隠してしまったのです!

    もちろん表向きはマンガに熱中してお手伝いしないとか勉強しないとか、そんなことを言っていましたが、もちろんそんな嘘、子どもにだってわかります。私は読書好きで成績に関しては要領のいい方でしたしね。どんなに泣いても、勉強もお手伝いもするからとひざまずいて懇願を繰り返しても返してくれなかったんだよーーー!!。

    (ずっと後、成人してからあの時の訳を聞いたら、やっぱり問題は8巻でそこだけ隠すと返ってまずいから全巻隠したなどと言っていました。うーー。)

    Berubara1_1

    さて、それからがたいへんです。11歳の私は自力で買いなおさねばと決心しました。どうしてももう一度オスカルやアンドレやロザリーや黒い騎士に、悲壮な女王アントワネットに出会わなければなりません。困ったことに、当時私の小遣いは申告制で欲しいものがある時に申告してその分のお金をもらうという形でした。しかし、母には言えません。

    この時、スヌーピーの英語の漫画が家にたくさんあったので、貸し漫画屋もどきをすることにしました。自転車で女友達の家を回り、漫画を届けるふりをして2冊あるから1冊買いとてとか言って地道に秘密のお金を貯めた。でもって1冊、また1冊と買いなおしていったのです。この時は苦しかったな。確かマーガレットコミックスは1冊320円だったと思うんですがたいへんだった。

    それから手に入れた後の隠し場所にも苦労しました。屋根裏がついた部屋だったのでそこに隠すことは当然思いついたけど、何かの機会に見つかってしまうかもしれない。部屋を慎重に調べた結果、天井の片隅の板が一枚だけ持ち上げることができ、そこに空間があることを発見。そこに外れないカバーをつけて慎重に隠し、読む時は蝋燭や懐中電灯を持ち込んで屋根裏部屋で読む。隠されたがゆえに、妄想はさらに豊かなイマジネーションとなり、ありとあらゆる物語のヴァリエーションを紡いでいた。親に見せられない絵を描く楽しみもこの頃覚えた。今は無いあの部屋のイメージを思い浮かべるだけで、当時、拡げた想像の翼が蘇ってくるような気がする。

    禁断の書だったゆえに、より深く思い入れてしまったことをよく覚えています。しかし、私の母はとんでもない人だった。オスカルさまが血を吐くシーンで「これは肺結核。当時の医学では絶対に助からない」などと断言してくれて、え~~~!!!と少女の私を驚愕させてくれたり、「アンドレのタイプは、そうは思えなくても結果的に女を不幸にする。選ぶならベルナールにしなさい」とか。ママン!それは自分の豊かな恋愛経験からの意見なの!?って・・・。

    今ならなんかわかりますよ?確かに中年期のオスカルさまはアル中で肺病病みだ。アンドレの犠牲的愛情は彼女を結果的に死へ追い込んでいくところがある。完全版を今読むと、黒い騎士の登場がこの物語のターニングポイントであることがよくわかります。アンドレの「武官はどんな時でも感情で行動するものじゃない」(このセリフはアンドレ死後もアランに投影されてオスカルを縛るすごいセリフである)とベルナールの「王室の飾り人形!」が、彼女を戻ることのできない「武官」にしちゃったんだよなぁ。ま、もともと、お父様のジャルジェ将軍が悪いんだけどさ~。それでも結婚させようとした時期がもっと早ければ別の道があった。後に出たル・ルーの登場するジャルジェ将軍の息子現るの外伝が黒い騎士を捕まえる寸前時期なのもよくわかる。

    アンドレとベルナール(黒い騎士)はダブルキャストですよねぇ。実はオスカルとロザリーも女性の中の少年性と少女性を分け合っている。さらにアランと妹のディアンヌもトリプルキャスト?この漫画は、少女にとって二重に三重に恋のできる素晴らしくお得な恋愛漫画なんだけど、男性にはまず絶対に生理的に理解できない漫画なんだよね。

    「栄光のナポレオン」でベルナールが「アランは一生分の片思いをしてしまったから、もう恋愛はできない」というのに対して、ロザリーは1児の母になっているのに、「ダメ、オスカルさまはわたしのものよ」と言って、ベルナールに「ロザリー、おまえねー」と言われているのに笑った。そうよ、さすがは全国の少女代表、春風ロザリー、「片思い」なら絶対アランなんかに負けないよね~。アランにはアンドレの死後1パーセントの片思い成就の可能性があるかもしれないけどさ、ロザリーの可能性は限りなく0なんだから~。

    『少女にとっては「片思い」こそが永遠の「恋」である。』

    途中です。後でもう一度書きなおします。

    |

    2006年9月15日 (金)

    花売り娘の本分

    えーっと、うちの猫いろはの出産が間近で気になって外出できないし、仕事も手につかないので、ここ2・3日かけて「ラ・セーヌの星」全話見てしまいました。そのうち、どうしても「ベルばら」が読みたくなって、真夜中にアマゾンで「ベルサイユのばら」完全版を注文。ついでに前から読みたかった池田理代子先生の「ナポレオン」も注文。翌日届いてしまいました。すごいですね~。一歩も外に出なくても驚くべき満足度で欲望が満たせるインターネット現代社会。引きこもり絶賛応援中って感じです(いや冗談でなくて)。

    でもって「ラ・セーヌの星」全39話

    今見るとすごいです。あの当時は”組合活動”とか”インフレ”っとか”遵法闘争”とか、やっぱり市民革命進行中だったんですねえ。細かい抵抗運動や座り込みとかがあの時代という感じ。テーマは意外に現代的でもあります。格差拡大、階級破壊されていく社会にどのように個人が対応していくかという部分とか。

    シモーヌ、いいですよ。どこがいいって、自分で貴族と平民のどちらを選ぶかという問題に自分から”市民”を選んでいる。

    大貴族の養女とシテ島の花屋かという選択なんですが、彼女は花屋を選びます。シモーヌには生業があるんですね。物語の中半からは職業人としての意識も高く、誇りを持って花売り娘やってます。単に花を売っているのではなく、花を買う時の人の気持ちを知って、励ましや希望としての花を売っているの。昼間は荷馬車に花を積んでロバを引く花売り娘。夜は義賊ラ・セーヌの星。

    いや~、もうシテ島の全員が絶対、ラ・セーヌの星はシモーヌって知ってると思うんだけど、ザラール隊長(声は次元大介の小林清志さん)、最終回2回前でシモーヌだと知ってどうしてそんなに驚くよ?って感じなんですけど。シモーヌもなかなかしたたか者でして、花売り娘の時はならず者にショバ代請求されても大人しく払おうとするの。でもって正義感ある出稼ぎ労働者に助けてもらったり。

    街の人もずるくてラ・セーヌの星には守ってもらうんだけど、花売り娘シモーヌは守ろうとするんだよね。考えてみるとラ・セーヌの星は女なら誰でも演じることが可能な存在なんですよね。9話で修道院のルームメイト、ミシェルが変装して戦って死んじゃうしね。あの太腿も眼くらましとして重要なのかも~(子どもの頃見た時はなんか妙に色気があってイヤだったんですが~)。シモーヌもさ~、ラストの方の回で、ラ・セーヌの星の時は太腿丸出しのくせに、花売り娘の時のスカートのすそを持ち上げて洗濯している時に見られた時は頬を赤らめているの。(そうゆことのできる君はもう少女じゃなくて少女を演出している女だぞ~~っと突っ込んでみる)

    シモーヌは自分が守ってもらう時と相手を守るべき時の使い分けがすごくうまい!このシリーズを作った人はオスカルとロザリーからヒントを得てこのキャラクターを作ったんだろうけど、ある意味女性側からは作れそうで作れないキャラクターですね。当時、男の子に人気で女の子が冷めていたのも改めてよくわかりました。大人の女になって見ると別の意味でおもしろいです。

    今見るとシモーヌいいなあ。全く覚えてないキャラだった革命家のミラン、いい男だったんだー。ごめんね。子どもの頃は完全にアウトオブ眼中だったよー。つうかこのストーリー子どもでは理解しきれないよ。一見完全懲悪に見えても、革命が起きるから反転するし、誰が良くて悪いかわからなくなるし、戦いの意味も後半は非常に難しくなる。

    黒いチューリップの広川太一郎さんとミランの富山敬さん、ザラール隊長の小林清志さん、あとゲストの男性に毎回、争われて代わる替わる口説かれているようなストーリーだ。男性諸君はねえ、みんな、シモーヌが大好きなんだよ~~。

    にもかかわらず!(というかだからこそ?)これって全然少女漫画でないです。だってシモーヌ、恋に溺れてない!君、君、ずいぶん冷静じゃない?ってっつっこんじゃうぞ。昼間は花屋、夜は大事な人を救い出すために牢破りを黙々とこなしてる。愛されまくっているけど、恋してないよ~。ロベールとだって義兄妹で同志って感じだしさ、ラストでさえ恋人同士じゃない養父母役を兄妹でやっている感じだよ?、ミランは幼馴染以外の何者でもないし。女の子から見ると全然おもしろくないです、これ。

    だからね、ベルばらが読みたくなったんだー。ベルばらを改めて読むと、少女から見たらやっぱり絶対にこっちです。登場人物全部ちゃんと、恋をし、愛に生きております。

    あ、でもね、ベルばらは使い分けできてない。殉死しちゃう。

    恋も仕事もなんていっている独身女性の皆さん!家庭と仕事の両立なんていっている既婚女性の皆さん!やりすぎちゃダメです。どっちにも逃げ場がなくなった時、過労死しちゃいますよーーー。(いやー、すみません、実は今自戒をこめて自分に言ってます。仕事も家事もサボっています。)

    シモーヌのえらいところは、きちんと「花売り娘の本分」をわきまえていることだー。守られるべき時に守ってもらい、守るべきものは守り、励ますべき時に花を添えて励ます。ラ・セーヌの星は死んでしまっても、花売り娘シモーヌは生きていける。どこから仕入れているのか知らんが、おばあちゃんになっても革命を生き抜いてどこかの国で誇りを持って花屋をしてるね。きっと。

    というわけで、次はロバつながりでペリーヌ物語の無料配信を希望。もう一度見てみたいです。

    |

    2006年9月12日 (火)

    生き延びていくシモーヌ

    でもって、「ラ・セーヌの星」に話は戻るのですが、

    「ラ・セーヌの星」の突っ込み所としては、レオタードで太もも丸出しで暴徒のあふれるパリに現れるはずがないだろ!とか、同母姉妹ならともかく神聖ローマ皇帝の落胤という異母姉妹が仲良くなるはずないだろ!などいろいろあるんですが、まあ、男性側から見ると男装の女性がパリの軍隊を指揮というより虚構性が弱いんでしょうか?・・・そういう物語になってます。

    シモーヌ、全然悩んでません。すごいなぁっと改めて関心したところは、1話でミラン(シモーヌの幼友達、ロビスピエールがモデル?)のセリフ。パリ市民から宮廷で使う贅沢品を買い上げるのにフランス国債で払うと言われて、シモーヌが国債って何?と問うと紙切れさと答えるところとか,・・。4話で貴重な黒バラを王妃様のために3時間で集めろと言われて協力して集めきるパリ花問屋組合(ギルド?)の結束と強力さとか。まあ、貴族の贅沢さを支えられるのは平民の経済的な強さであって、学生時代の歴史の先生がフランス革命の市民は貧しかったから革命を起こしたのではなく、当時ヨーロッパで最も豊かな市民であったので革命を起こせたのだと言っていた意味が改めてわかりました。(先生ありがとう((笑))

    シモーヌ、思っていたより強い。なんか昔見た時は黒いチューリップによく助けられていたような気がしてたけど、彼が追放されてからは結構1人で勝っているし、弟分のジャンをはじめシテ島の皆さんの協力を得るのがとても上手。女の子として無敵だなあ~~。

    27話からはガンダム制作以前の富野喜幸監督でテンポも速く良いです。昔はイヤらしいヤツと思っていたザラール隊長も職務熱心なおかつ革命をうまく生き抜く知恵ある狡猾者で見所ありです。(警備隊長フーシェがモデルなんでしょうか?)

    最後にシモーヌはマリーアントワネットの娘と息子(マリーテレーズとルイ・シャルル)を助け出し、黒いチューリップとともにその養父母役となって外国へ亡命します。その時に、民衆から「お前は平民と貴族のどちらの味方なんだ?」みたいなセリフがあるのですが、ラ・セーヌの星は「どちらでもない、私は弱い者の味方だ」と言い放ち、罪なく殺されそうになる子どもたちを助けるのでした。

    この1点においては、貴族と平民の狭間に最後まで悩むことになったであろうオスカルの苦しみを、シモーヌは少女役から母親役に転換することによって難無く逃れているといえる。

    えーーと、「ラ・セーヌの星」の虚構性にはもちろん笑っちゃうところもいっぱいなのですが、主題歌をフランス人の少女アレーヌさん(姓は何ていうんでしょう?)が歌っていて、allons-y (行きましょう)とか l'espoir(希望)とかやたら正確な発音で言ってくれます。日本語は”ぎゅいーんのちゅるーぎおーふりゅぅーのーだー”(銀の剣を振るうのだ)とか歌ってくれていてとても良いです。

    シモーヌは、「ベルばら」のロザリーと同じく、革命を最後まで生き延びます。革命というのは起こしているうちに、何のためにどうして戦っているのか意義を見失いがちなのですが、最後まで生き延びるというのはたいへんなことです。

    えーーっと、まとまらないのであとで見返してまた書き加えるかもしれませんが、とりあえず上げておきます。

    |

    革命と2重越境

    今では私も大人なので、ベルばらの宝塚公演も全然OKだしすばらしいと思うのですが、当時中学生だった頃はちょっと拒否反応という関東の女子は少なからずいたのです。

    どういうことかというと、オスカルさまが女性なのはいいんです。女性の男装はもちろんOK。でも、アンドレとアランは女性が演じるのに抵抗があったのです。個人的にはフェルゼンとジェローデルも女性が演じてもOKかも。

    どうして?といわれると、それはですねー。

    「ベルサイユのばら」のオスカルが不朽の名作としてのカリスマ存在になったのは、オスカルの”苦悩”にあると思っているからなのですよ。オスカルさまはバスティーユ監獄襲撃の際にお亡くなりになりますが(私も学校を休んで泣きました)、もし生きていらしたとしても(やはりここは敬語ですね)、その後の貴族皆殺し、敵味方なしの恐怖政治の時代を生き抜けなかったでしょう。(なんという愚民め!とか怒り嘆く中年期のオスカルさまを見たかった気もしますが)

    つまりオスカルさまの”苦しみ悩み、あがく人間としての女性”というのが非常に新鮮で、たいへんに超越した存在だったのです。リボンの騎士をはるかに超えてます。1972年のあの時代でないともうああいうキャラクターは描けないでしょう。単に男装しているだけでなく、人間として苦悩している。貴族の出自とその環境に誇りを持ちながら、平民の意識の高さに気づき、同じ人間として階級を超えて人を愛することができ、矛盾と真正面から向き合って臆するところがない。それはただの男装だの耽美だのを超えたキャラクターだったんですね。

    そのためにですね・・・。彼女を愛するアンドレは平民であり、アランは下級貴族なんですが、越境する男性存在そのものでないとならない。原作では5巻でアンドレはオスカルのブラウスを引き裂きますし(きゃーー!)、7巻でアランは無理やり唇を奪う~(ぎゃー!)! 

    ちょっと考えてみてください。完全身分社会であるフランス革命以前では、両者ともに、即!!良くて失職!!、悪くて銃殺!!!ですよー。

    にもかかわらず、彼らは強烈な男性のリピドーを引っさげてこういう行為に走り、なおかつオスカルはそれを糾弾しません。(できる立場にいながら、女の弱さを正当化しない)このへんが革命そのものであり、オスカルは女性として男性側に越境しているとともに、貴族・平民の身分階級を越境する2重越境存在として君臨しているのです。

    こういうところが実はどうしてもアンドレとアランだけはどうしても男性に演じてもらいたいと思ってしまうところなのでした。同性である女性に演じられるとただの愛に殉死する存在になってしまうんだもの~。もちろん愛に生きるのも女としては大切な点なんですけどね~。が、が、それ以上の存在が革命であったのだと言いたいんですね。

    (ごめんなさい。興奮しています。さらに続きます)

    |

    2006年9月10日 (日)

    最近の仕事

    えーっと、ここは私の制作ページとして作ったんですが、本来の制作内容が全然描かれてなくて今はアニメページと化しています。本当は今年の5月に表参道で行った個展とかの内容もアップしようと思っていたんですが。

    http://yasukun.cocolog-nifty.com/の3月~5月くらいには制作ノート的な内容も入っています。

    しかし、アニメの方も一応、国費を頂いて研究している身なので、まあこれも仕事の一環ではあります。(趣味・実益400パーセントという感じですが)。今年の1月には「カリオストロの城」の色彩についての論文を書いております。もし、このブログを読んで別刷が欲しい方がいらっしゃいましたらコメント欄に連絡いただけるか、SPIE paper 6058-12でThe International Society for Optical Engineeringに請求してみてください。

    うーん、結局、1人の人物が書いているといろいろと混乱してきますね。

    しかも整理するのが何より苦手なやすくん、ここのページもガラクタ化しそうな予感です。

    |

    2006年8月27日 (日)

    時をかけた少女

    すごく恥ずかしい少女マンガを描いたので、男性諸氏は見なくていいです。(と言っても見るんだろうけど・・)「kazuko.ppt」をダウンロード

    個人的には芳山和子が独身のまま仕事してても、ぜっんぜん構わないんですが、深町一夫=ケン・ソゴルの記憶が失われていないというところが可哀想で描いてしまいました。

    Kazuko1_4 1

    Kazuko2_4 2

    Kazuko3_6  3

    Kazuko4_3 4

    ラベンダーのブーケを持った和子が描きたかっただけです。真琴のお父さんは資料が全くなかったので、日本人によくあるお父さんの顔にしときました。

    |

    2006年8月26日 (土)

    カラオケ「時かけルーム」

    ”とーきーをー、かーけるしょうじょー、あーいはかがーやくふーね~”

    というわけで8月25日までの遅ればせながら、カラオケパセラの「時かけルーム」に行って歌ってまいりました。

    一緒に行ってくださったTさん、ありがと~~!!持つべきものは同年代の女友達ですね。

    Karaoke1 部屋の中です。原画のコピーや黒板、学級文庫などがあります。

    Karaoke2 やっぱりこれでしょう。

    年月人を待たず。

    Karaoke 部屋の入り口。倉野瀬高校の校章なんでしょうか?これ。

    Karaoke4 これが金時をかけるハニトー。実物です。

    はっきり言ってすごいボリューム。食パン一斤丸ごとにアイスと金時と蜂蜜がかかっている。現役高校生でないとこんなもの食べ切れません。

    歌った曲は、原田知世の「時をかける少女」を初めに、若かりし頃のユーミンの卒業写真やダンデライオンなど歌ったり、アニソン新旧いろいろ。奥華子さんの「ガーネット」も店員さんに新譜を教えてもらって歌いました。

    あと、”テプコひかりに変えったのはっ~”というもの奥華子さんなんですね。7番くらいまでありました。歌っときました。夏の暑気払いに最高です。楽しかったですー。

    |

    真琴の少年分岐点

    真琴が「恋に落ちたところがわかる」とか書いたら、どこかわからないという男性の意見があるので、その辺について丁寧に書いてみます。

    恋に落ちた瞬間は確かにわからないことの方が多いんですが、この映画の場合、真琴が恋を自覚した点は明確ですね。お風呂に浸かってのシーンで「あいつ私のこと好きだって言ったくせに」のところです。よーく思い出してみてください。2度とも千昭は「功介に彼女ができたら、俺と付き合わない?」と言っているのであって、好きだとは一言も言ってない。そう、「好き」なのは真琴の気持ちなのです。

    しかし、あれだけ逃げまくったらそりゃあ千昭でなくっても、嫌われたと思いますよー。あの関係だと千昭から見たら真琴はやっぱり功介が好きなんだなーっと思うもの。あそこは少女漫画そのものだと思うんだけどな。”恋に気づいた時にはもうその恋はそこになかった”とか”恋と気づく前に女の子らしい友達に持っていかれてた”とか普通によくある少女漫画の展開です。

    キャラクター造形についてですが・・。

    真琴のキャラクターは少年っぽいです。というか子どもです。友梨ちゃんが千昭を好きになっていく過程の方がちゃんと女の子。真琴は少女逸脱キャラ寸前です。この子どもの正義感のままもっと進んでしまうと、オスカルさまやウテナになってしまいそうなくらい。女子高だったら女の子たちに人気かもね。すばらしく頼りになるし。

    真琴が少年少女分岐点を迎えるのは、高瀬くんに消火器をぶつけられるシーン。このシーンはなんだかんだいっても必須ですね。真琴に飛んでくる消火器を千昭が身をもってかばいます。ところが、真琴は時間を戻して千昭を突き飛ばし守ろうとする。結果、消火器が床に跳ね返って怪我をしたのは友梨。ここです。守られるべき存在が守る存在へ移行されたら、より弱い存在を守るしかないもの。真琴の失恋はまさにここ。さらに保健室で友梨が傷が残ったらどうしようと泣く(深いのは心の傷で身体の傷ではない)のに「私がなんとかする」とか言っちゃって完全に王子様キャラになってます。これは女としてダメダメです。真琴は友梨ちゃんの王子様にはなれないし、いくら強くてもタイムリープできても千昭と友梨の両方をいっぺんに守ることはできないのですから。

    千昭が男である以上友梨ちゃんと付き合うようになったのは当然でしょう。友梨ちゃんはもうすでに女の子なので、(たぶん絶対興味ない)ナイターに付き合ったり千昭の趣味を調べたりしているでしょう。真琴はここで完全に宙に浮きます。少年でも少女でもないキャラクターになってしまっている。

    恋愛というのはむずかしいです。性的越境をどこかでやらないと異性の気持ちがわからないし大人になるのも難しい。けど、男っぽい女の子も女っぽい男の子も着地点を間違えると悲惨だしブザマです。細田監督は魔女っ子ものを何本も苦しみながら演出したとのことで、そのへんをよく勉強されたんでしょうね。あと貞本義行氏のキャラクターデザインもエヴァンゲリオンより数段上手いです。シンジくんは少年から越境しても嫌いな父親とは違う大人の男への新しい道が最後まで模索しきれてなかった。

    真琴が少女へ分岐していく過程には、魔女叔母さんの存在が大きい。いつも的確にアドバイスをくれるのね。「真琴、貴女は私とは違うタイプでしょ。約束に遅れた人がいたら走って迎えに行くのが貴女でしょ。」この瞬間、全く違う新しい『時をかける少女』が誕生したんだなーっと思います。

    こんな恋愛相談ができる叔母さん、私も欲しかったな~。逆にこの年になるとこういうアドバイスをしてくる和子叔母さんもなにか重大な人生の一大決心をしようとしているところなのではないかなという気がするんですけどね。

    最後には参りました。恋心に気づいて好きになって相手が遠くに行ってしまって失恋して最初の恋が終わる。普通はそれで終わりでしょう。なのに最後の夜空への大タイムリープ後、”その恋はまだ始まってもいなかった・・・”へ戻られるとは。ヤられました。こういう結末は少女漫画ではまずありえないです。

    |

    2006年8月24日 (木)

    芳山和子幻想

    最近思うのですが、どんなに今度の細田監督の「時をかける少女」がいいよぉーーー!と言ったところで、やっぱり皆、一度はゲド戦記を見にいくんだろーな・・っと。まあ、それでもいいです。私もそうだったもの。なかなか素直に行けないですよ。でも、強力に言っておきます。現在30代半ばから40代半ばの特に女性の皆さん、行くといいです!できれば夏のうちに・・。Kazuko3_2

    ラベンダーのポプリと魔女叔母さんこと芳山和子さんの少女時代。

    こんなんだったよね?なんか中学生って感じなんですが。。

    Kazuko2_1 京成線で上野へ通う和子の美大生時代。絵コンテ風に描いてみました。

    大和田から来た4両編成電車で動物園博物館駅で降りていたんだよ、きっと。

    Kazuko1_1 絵を描いている学生時代の和子。

    いや~、修復の研究室は私の研究室の隣だったのですよ~。

    個人的にすごく今回の時かけは嬉しい。細田監督は金沢美大の出身らしいけど四芸祭の時に上野に来ていたのかなあ。

    タイムリープ空間にエッシャーとキリコみたいな外国作家でなくて、宮島達雄のデジタル表現を採用していたり、東京国立博物館の去年の展覧会も日本の絵画展なところとか、ほんとに日本の良いところを前向きに描いてくれて良い。

    真琴の家とかもちょっと古いけどああいう家屋は日本の家だよねえ。

    さて、原田知世版「時かけ」はともかく「タイムトラベラー」を知らないお若い方々に「続タイムトラベラー」の貴重映像を!!絶版になっている「タイムトラベラー」石山透 大和書房より。Kenkazuko ケン・ソゴル(木下清)と芳山和子(島田淳子)です。著作権問題あるかもしれないけど絶版だからしかたないよなー。(問題あるようでしたら削除します)

    いいでしょ?ちょっと大人っぽくて。セーラー服で。

    原田知世さんももちろん可愛くていいんだけど。

    私には細田版「時かけ」の和子さんはこの延長上にある感じです。

    |

    2006年8月23日 (水)

    ゲド戦記のここに泣いた!

    昨日、同僚のNさんと食事してゲド戦記の話題になったので熱弁をふるったところ、ぜひ漫画にして言われたのでしてみました。

    Gedo1_3 ま、行きたい人はぜひ行ってください。この件に関して当局は一切責任はとりません(キッパリ)

    |

    2006年8月20日 (日)

    時をかける(元)少年少女

    昨日”い”氏と一緒に、朝一番でテアトル新宿に「時をかける少女」見てきました。

    帰りに伊勢丹でモロゾフのカスタードプリン買いました。リメイクと言ってバカにしていただけに一度ハマってしまうと深い!。私の少女時代はSF真っ盛りだったんですねえ。

    那由他というSF漫画に過去見というのが出てきて、キロ(だっけ?)という少年に記憶を消されても、雨の日に思い出すというのがあったなー。とか。”芳山和子もいつか思い出すのでしょうか?”みたいな城達也のナレーションが聞こえたり(幻聴?)

    タイムトラベラーは確かに1972年当時、小学校高学年~高校1年くらいの女の子に大人気でした。それで続タイムトラベラーが作られたんだよなー。芳山和子は中学3年生の設定。幼馴染、深町一夫に関する記憶が仮想記憶というところも怖かった。実は未来人ケンソゴル、なんと11歳!。なんで大人気だったかというと、これは少女漫画の王道、違う時空に暮らす引き裂かれた少年少女なんですよねー。”二人をもう一度会わせてあげてーっ!”という当時の少女たちの嘆願運動によって続タイムトラベラーが制作されたのです。

    しかし、続タイムトラベラーでは思い出せない恋人に呼び出されて、身代わりの少女ジュンを元いた時代において置かれるところが怖かった。自分の写真とかもその子の顔になっていて、家族の誰も疑わないんだよー。

    いろいろあったあげく、やっぱりケンと結ばれるのはダメで「明日になれば私は貴方のことを忘れてしまうんでしょう?」とかいうセリフがあって、結局1972年の高校1年生として平凡な日常へ戻る。今度は当時の少女たちも「さらにもう一度」とは言わなかった。その時少女達は結局結ばれずに終わるのなら何度会っても悲しいだけじゃん!ということを学んだのでした。その後、マリコという同じ俳優女優の普通の恋愛ドラマ(だったと思う)も作られたけど人気なかった。やっぱり、ロミオとジュリエットは永久に結ばれない運命だから少女の心の琴線を捉えるのであって、普通に結ばれちゃあねえ。

    「時をかける少女」に絶対禁則規範があって、どんなに好きでも憧れても少年は少女に性的な手出ししてはいけないのですよ。少女もどんなに少年が好きでも彼と結ばれて子どもを産むということはありえない。それは過去と未来を変えてしまう最大の禁則だから。

    その辺の”絶対的少年少女”あるいは”永遠の少女”が「時かけ」の普遍的テーマでいいんでしょうね。何度、リメイクされても傑作が出てくる所以かなー?

    今回の「時をかける少女」の真琴は、「となりのトトロ」のサツキの思春期時代のように感じました。サツキとメイは、前思春期と幼女時代をうまく同時化表現していましたね。少女漫画の手法、姉妹あるいは双子の同時化表現で成長を描く方法。女の子が成長し何かを得ることによって失う半身をどう描くかなんですが。もちろん萩尾望都の「半神」は最高傑作のひとつ。最近では「NANA」が同じ名前で同い年の二人の少女でうまく描いています。今回の「時をかける少女」はタイムリープという使い尽くされていた(と思っていた)手法で真琴の同時化表現(恋をする前、恋を知ってしまった後)に成功しています。

    少女漫画だと恋愛させるのが一番難しいキャラクターをよくデザインし演出したなあと思います。男二人と仲良しの元気者の女の子は恋愛させるのが難しいのですよー。「生徒諸君」でも片方を山に行かせて遭難死させちゃったしなー。あの涙ボロボロの演出は、女性監督では難しかったかも。反面、脚本の巧みさや真琴の親友 友梨ちゃんの「そうだと思った、行きな」は「女友達」をがっちり押さえていて少女漫画の王道!

    |

    2006年8月18日 (金)

    時をかける(日本の)少年少女

    えーっと、このページは本格的にネタバレしますので、今回の「時をかける少女」まだ見ていない方は読まない方がいいです。

    日本人の(アジア人のかもしれませんが)精神構造として、子どもから大人になるまでの間に恋愛を成就させるのが難しい、非常に大きな壁があります。

    「気恥ずかしい」ってヤツです。

    欧米と違ってカップル文化が社会的に認識されてないので、前思春期以前(幼稚園~小学生低学年)ならお手手つないでも許されますが、8歳にもなろうものなら、川岸でカップル見つけてからかうことなど必定。「となりのトトロ」のサツキとカンタの関係が日本人の子どもです。

    おそらく、千昭が現れる前の真琴と功介の関係もそうだったはず。真琴は恐ろしく精神年齢が低い少女なんですが、千昭も子どもっぽい。未来人の千昭は、野球オタクの11歳?って感じです。3人の中で一番、精神年齢が高いのが医学部志望の功介。真琴の女としての成長は極めて低く色気より食い気です。プリンや鉄板焼きがおいしそうなアニメ。もちろん、千昭が気になる同級生の友梨ちゃんの方が女として上だし、下級生の果穂ちゃんにも抜かされそうな気配。そう、果穂ちゃんが功介に告白するところで最初の分岐点が発生するんですね。

    このイベントが起きてしまうと「功介に彼女ができたら、俺と付き合わない?」という千昭の告白が起きてしまう。真琴がどんなに時を戻ってもやり直しても、功介に彼女ができると否応なく運命は進んでしまう。「誰も大人になるのを止めることはできない」という青春期の必定を遠慮呵責なくこの物語は教えてくれます。バックに流れているピアノ曲も良かった。

    とはいえ、大人になりたくない、このままでいたい真琴の気持ちはよく理解できるし、結局真琴が千昭から逃げ回っているうちに、友梨ちゃんが千昭に大接近。この脚本はよくできていて、今度は功介が真琴に接近するのかなと思ったら、タイムリープして模擬試験で良い点を取った真琴を功介がライバル視。それを果穂ちゃんの親友二人に責められ、困った真琴はまたもや何度もタイムリープ。この狂言回し的な親友二人もすごくいいキャラクターです。

    原作「時をかける少女」の和子の性格設定は古いです。さすが40年前に書かれていただけあって、私が読んだ時でさえあの言い回しは古かった。吾朗ちゃんの「芳山くんは母性愛過多だな」ってー。大林監督の原田知世版ではさすがに「芳山くんは生意気だな」になってました。

    今回の「時をかける少女」は日本人同士だと”痒くなっちゃう”少年少女の恋愛をうまく描いたなあと感心しています。

    大林版だと男性視点で、まあケン・ソゴルが吾朗ちゃんよりずっと大人だし、頼りになるから物語上破綻はないんですが、思い出泥棒って感じだし、憧れから恋へ移行するところが今ひとつ女性からみるとわからないんですよ。

    もともと違う時空間に生きる以上、絶対的に悲恋に終わるはずの「時をかける少女」です。今回は少女の成長に力点を置いた脚本、演出が大成功です。宮崎駿氏が描こうとして描ききれなかった前思春期から思春期への移行をみごとに果たしています。

    |

    1972年へ「タイムトラベラー」

    しかし、「時をかける少女」なんでこういう傑作が再び、三たび出るんでしょう。今回は「時を走る少女」って感じですが。今回は恋に落ちた瞬間がわかる稀有な映画。男の子二人に女の子1人のドリカムとか言われているけど、私は真琴は「生徒諸君」のナッキーだと思いました。

    前回、大林監督、原田知世版は男の子から見た映画でそれなりに傑作ですが、少女が恋に落ちたところがどこかはわからなかった。最後の記憶を消されたのになぜにー?薬学部へー?というところは物悲しいけどねー。松任谷由美の「時かけ」も名曲ですが、今回も歌もいいです。

    そう、タイムトラベラーものに重要なのは”記憶”なんですよー。記憶を持ったまま未来へ過去へ行けないと何にもならないものねー。そりゃ、一日寝過ごしちゃっただけですってー、芳山和子叔母さぁーん。紅茶入れて飲もっとー。

    というわけで、最初の「タイムトラベラー」へタイムトリップしようと思って、DVDを探したらこれがないんですよ。最終回以外残ってない。えー?だって、当時大人気で、夏休みに再放送され、好評のため「続タイムトラベラー」が半年後作られて、これは翌年の春休みに再放送されたはず。何故、覚えているかというと当時私は盲腸で入院して帰ってきたら、向いに住んでいた幼馴染の親友の女の子が転校してしまったという(小学生にとって)一大事件があり、しばらくテレビと読書にハマっていたから。

    思えば前思春期から思春期へ突入しようとしていたんですね。1972年には「人造人間キカイダー」もやっていてこれも私はミツコさんが大好きだった。タイムトラベラーは、NHKの少年ドラマシリーズでしたが、少女が主人公で早々に同級生の少年が未来人であることがバレてしまい、少年は結構何度も少女に助けを求めて、その度に少女は時を飛んでいたんです。超少女明日香の原形みたいな物語だったのね。当時、少女が冒険するSFは珍しかったから夢中でした。ラベンダーの香りを嗅ぐと時を越える超能力発現ですからねえ。

    続タイムトラベラーには、さまよえるインド人とか出てくるんですが、レインボーマンも1972年放映だったんですよ!あのインドの山奥で修行しちゃうレインボーマンです。当時は超常現象=インド人に全部丸投げしとけ って感じだったんですかねー。日本人大っキライの死ね死ね団の歌、夜うなされるほど怖かったです。

    しかし、「人造人間キカイダー」も「愛の戦士レインボーマン」(ほんとにこういう名前だった)も、マジンガーZの裏番組で超マイナーだった「アイアンキング」さえちゃんとフィルムが残っていてDVDになっているのに、何故、タイムトラベラーは最終回以外、続タイムトラベラーは映像全部、残ってないんでしょうか。天下のNHKなのに。

    ここはやっぱり未来人が持っていったと考えるのが順当?

    ともあれ、今回の「時かけ」の千昭くんの動機、”この時代にしかない絵が見たかった。”激しく同意。

    1972年の夏休みと1973年の春休みにタイムリープして、見てきたいです。

    |

    この夏は「時をかける少女」

    えーっと、制作ノートのページをいろはる家の日常から移したいという希望は前からあったんですが、ようやくこの夏休み実行に移すことにしました。

    でもって、最初に書くことは何かって、実はこの1週間ほど「時をかける少女」にはまっています。絵コンテ集も買いました。

    http://www.kadokawa.co.jp/tokikake/

    いや、もちろん最初は某ジブリアニメに行って失望のあまり、評判のいい「時かけ」を見に行ったわけなんですが、最初は全然バカにしていました。

    だって~、私は「タイムトラベラー」(1972年)を小学生で見ているんですよー。知世ちゃんの「時かけ」だって高校だったか大学だったか・・そーんな、オバサーンな私、リメイクされたものが前の傑作を上回ることなんてーーーっ、ありえないじゃーーんと思っていたんです。

    最初、8月4日に豊橋のシンポジウムに行った時、同年代の二人の知人とホテル隣併設映画館で看板を見て、「あー、時をかける少女だー、見よっか」と言われた時も「え、アニメ?新作?」って感じで、夜だったんでやってなくて、翌日豊橋市美術博物館で海洋堂展を見て帰ってきました。

    でもって翌週、テアトル新宿に行ったら立ち見で、「えー?なんでこんなに混んでんの?」状態で見ました。

    これは大当たりでした。

    以下、ちょびっとネタばれします。

    もうすっかり「時をかける少女」のストーリーは忘れてました。でも記憶というのはすごいもので、二人の男の子のうちどっちか未来人だよなと思っていました。もちろん、そう、そうなんだけど、そうじゃなくてー、芳山和子叔母さんに泣かされたんですよ。姪の真琴ももちろんものすごくいいですけどね。子どもの頃、憧れていたお姉さんが自分と同じ年頃になって登場して、思っていた以上の素敵な女性になっていたんです。

    うーん、東博(東京国立博物館)の修復士かあ。やられたなあ。

    京成線を使って13年も上野へ通っていましたから、あの大和田行きの電車にも泣かされた。できれば動物園博物館駅にもタイムトラベルして欲しい。和子お姉さーん。

    芳山和子さんはオバサンでなくてオネエサンです。私にとって。

    あまりの懐かしさにお盆に実家に帰る時に京成線に乗り、原作「時をかける少女」を買って読みました。小学校の理科室で紫色の変な液体を作るのが流行ったなあ。記憶がどんどん過去へ蘇っていく。トカリベツを地図で探したけど見つからなかった。小学校の花壇での会話が、「クロッカス・ジルヴィウスはクロッカスの品種改良種なのか?」とか、「ラベンダーは原種じゃなきゃダメなんだぞーっ」とか。

    この夏は「時をかける少女」を見ることをお勧めします。もうとっくにオバサンになっているはずの私を少女の時に戻してくれる、まったく新しい”時をかける少女” この暑い夏の日に会えてよかった。ありがとう。細田監督、制作スタッフ、ネットで推薦してくれた人たち。

    |